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■堕ちた天使の舞う夜に:長良川広久さん作

エピローグ・前

「結局、《悪魔の銃》って何だったんです? やっぱりウルテルの影響で……?」
「そうとも言えますし、そうでないとも言えますわね」
 北斗の問いに曖昧な答えを返したエレーヌは、複雑な表情を作ってグラスを置いた。
 あの激戦から一週間が過ぎた日の夜、定休日の札がかかった『ロングワインディングロード』の中。仕事帰りでスーツ姿の二人は、テーブル席に差し向かいで座ってグラスを傾けている。
 事件以来ジェニファーの元で静養しており、明日朝早く日本を発つエンジェルのためにささやかな送別会を開こうという意図で、邪魔の入らない定休日にわざわざ店を使わせてもらっているのだ。銃と酒以外については極度の面倒くさがりだという噂のマスター熊岡も、事件の一端に関わっているからか、ジェニファーの提案にはすんなりとOKを出した。
 北斗たちはいささか早く来過ぎたため、ソフトドリンクを手に時間を潰しているところだ。しかしせっかくの二人きりの時間だというのに、どちらの顔にも楽しそうな様子はなく、とてもロマンティックとは言えない重苦しい雰囲気が漂っている。
 二人の口にのぼっている話題の性質上、仕方のないことではあるが。
 考え込むようにやや瞳を伏せていたエレーヌが、小さなため息を一つついてからゆっくりと口を開く。
「あれからジェニファーが追跡調査をして、海外のギルドにも問い合わせた結果、いろいろなことがわかってきましたわ。
 まず《悪魔の銃》の原型となる銃が作られたのは、16世紀のヨーロッパ。お金の有り余っていた地中海地方の大富豪が私財を投じて、自分が持っている中で最も美しい拳銃に、魔法によって創造された人造精霊を封じ込めさせ、強力なマジックアイテムを作ったのです。
 引き金を引くだけで魔力の塊が撃ち出される、弾丸も火薬もいらない銃――元々の銃に天使を模した精緻な彫刻が施されていたことから、それは《天使の銃》と呼ばれるようになったのです」
「それがどうして、あの《悪魔の銃》に変わってしまったんです?」
「なまじ《天使の銃》が、美術品としてもマジックアイテムとしても極めて高い価値を持っていたためですわ。
 表と裏、両方の世界から追い求められ、その周囲で常に醜い奪い合いと流血を呼び寄せる存在となってしまったのです。
 ただ射手の意志に従って攻撃を行うだけの存在だった人造精霊は、剥き出しの憎悪と欲望、執着と怨念にさらされ続けたせいで、徐々に変質していきました。
 人造精霊というものは、自然の精霊とは違ってそれ自体の意志というものを持っていませんから、他者の魔力や思念の影響を非常に受けやすいのです。
 その意志はただ殺戮のためだけに存在し、弾丸が放たれるたびに削られていく自らの魔力は人間の魂を喰らうことで補う……製作から数十年が過ぎた頃には、銃に宿った精霊は死と破壊を撒き散らす悪魔へと変貌していたのです」
「それが《悪魔の銃》……」
「ええ……ですが、まだ続きが」
 エレーヌがそこで一旦言葉を切り、手元のドリンクで軽く喉を湿したちょうどその時、重厚な木製のドアが小さく鳴って新たな来客を告げた。
「あら、エレーヌに北斗さん、ずいぶん早いのね。もっとふたりっきりでイチャイチャしていたかったかしら? ごめんなさいね」
「へっ!? あのいえそんな、俺はただっ」
「あのねえ、ジェニファー……そういうジョークは時と場所をわきまえて欲しいものだわ」
 黒を基調にしたシックなツーピースに真珠のネックレスをあしらったジェニファーが、クスクスといたずらっぽく笑っていた。相変わらずなからかいに、北斗は目を白黒させ、エレーヌはうんざりした表情で額を押さえる。
 ジェニファーの後ろから入ってきたセルヒオは、ギルド関係の場所に現れるときには珍しく、濃紺のスーツ姿だった。3人の様子を見下ろしながらも淡々とした表情を崩さないが、北斗が知り合う前のそれとは、どこがどうとは言えないものの印象が少し変わっている気がする。同じ無表情でも、人に恐怖感や不快感を感じさせる類のものではなくなっていた。
「ま、それはともかく。主役が到着したんだから、ちゃんと迎えてあげましょうよ。アンジェリカ、入ってきて」
 ジェニファーがドアの方に振り返って声をかけると、遠慮がちにゆっくりとドアが開き、エンジェルが――いや、アンジェリカ・ジョンストンが入ってきた。
 彼女のシンボルとも言える美しいブロンドはそのままだが、真紅のジャケットに黒のパンツスーツという今までの攻撃的なスタイルではなく、ソフトレザーのジャンパーにスリムジーンズ、細いチョーカーに足元はジョギングシューズという、気取ったところのない服装だ。
 やや吊り上がり気味の青い瞳からは以前のような苛烈さがなくなって、どこか吹っ切れたようなさっぱりとした雰囲気が表情や仕草から見て取れる。
「こんばんは、北斗。元気そうね」
「久しぶりだね、エ……アンジェリカ。今までどうしてたんだ?」
「ミズ・リンのお世話になって『毒抜き』をしてたのよ。《悪魔の銃》を長く手元に持っていたから、その魔力が身体に残留してたんだって。それを浄化するために、聖水で身を清めたり薬草茶を飲んだりの繰り返しで、すごく退屈だったわ。
 けど、落ち着いた時間の中で、いろんなことを見つめ直すことができた」
 そう答えて小さく微笑んだアンジェリカの様子からは、マフィアへの憎悪にその身を焦がし、妹を失った悲しみに呆然としていた「エンジェル」の影はもう感じられない。
「まぁ、立ち話もなんだ、とりあえずあんたらも座れや。カクテルでも水割りでも好きなもん出してやっからよ」
 熊岡に促され、北斗たちと同じテーブルにつく3人。それぞれに酒を注文し乾杯の準備をする。
 常連のセルヒオは、ボトルキープしてあるゴールド・テキーラのロック。
 北斗は「カクテルってよく知らないんだけど……」と言うことで、無難にモスコー・ミュール。
 エレーヌはシャンパンベースのキール・ロワイヤル。
 ジェニファーは神秘的な薄紫色に揺れるブルー・ムーン――そして。
「私は……ホット・ブランデー・エッグノッグを。
 あの子がここで口にした味を、記憶に留めておきたいから……お願いできる? マスター」
 寂しげに微笑むアンジェリカの問いかけに、熊岡はテキパキと手を動かしながら「おう」と短く答えた。
 数日前、セルヒオがジェニファーの元で静養中のアンジェリカを見舞った際、ミジィと会った時の詳細を聞かせてくれと頼まれ、この『ロングワインディングロード』での出来事を話した。その話を聞いてひとしきり泣いたあと、アンジェリカはぽつりと言った――日本を離れる前に、その店で一度お酒を飲んでみたいと。
 ここで送別会を催そうというジェニファーの提案も、その一言が発端になっている。
 あっという間に5つのカクテルを並べた熊岡がカウンターに下がると、全員が自分のグラスを取り、目の高さに掲げた。
「じゃあ、アンジェリカの新しい出発が良きものとなるよう願って――乾杯」
『乾杯』
 ジェニファーの音頭に続いて、全員の声が重なった。

「ところでエレーヌ、真面目な話、さっき北斗さんと何を話してたの? ずいぶん深刻そうな顔してたじゃないの」
 早くも自分のグラスを空にしたジェニファーが、2杯目のブルー・ムーンを傾けながら尋ねる。
「え? ええ……《悪魔の銃》について聞かれたものだから」
 それとなくアンジェリカの様子をうかがいながら、エレーヌは少し声を落として答えた。
 身体の芯まで温まる熱さのホット・ブランデー・エッグノッグをちびちびやっていたアンジェリカだが、今はグラスを置いてエレーヌとジェニファーを見ている。
 だがジェニファーは、そんなアンジェリカの気配も知らぬげに視線を北斗へ移した。
「北斗さん、どこまで聞いた?」
「ええと、《銃》が作られたのは16世紀のヨーロッパで、最初は《天使の銃》と呼ばれていたのが徐々に変質していったとか……」
 ひとつ頷いたジェニファーが、いつになく真剣な眼差しで、順番に全員の顔を見つめた。
「この際だから、《悪魔の銃》に関わった当事者のみんなには、最初から最後までちゃんと事の顛末を聞いておいてもらった方がいいかも知れないわね。あの恐ろしい武器が、どうして今の世に甦ってしまったのか」
 わずかに身を乗り出すアンジェリカをチラリと横目で見てから、ジェニファーは静かに語り始めた。
「人の肉体を乗っ取るまでになった《悪魔の銃》は、当時の志ある魔法使いやエクソシストたち――今で言うギルドメンバーと同じ役割を負っていた人々によって、一旦その力を封じられたのよ。
 その後、長い年月をかけて少しずつ悪魔の邪悪な思念を浄化していく計画だったらしいけど……18世紀の末頃に、秘密裏に安置されていた場所から《悪魔の銃》が盗み出されてしまったの。
 浄化が完了していなかったから、悪魔の意志と魔力はほんのわずかながらまだ《銃》に残っていたわ。けれど人間に影響を及ぼせるほどではなくて、それに《悪魔の銃》の真の恐ろしさは裏の世界にしか知られていなかったから、その《銃》はルネサンス後期のアンティークガンとして、真実とは異なる奇妙な伝承と共に取引されるようになっていったの」
「正義を貫く者に力を与える《天使の銃》――ってやつですね」
「そう。そして21世紀に入り、とうとう《悪魔の銃》は覚醒の機会を得てしまった。
 セルヒオが撃ち砕いたという、銃身に埋め込まれた〔鮮血〕のウルテルよ」
 ウルテル――昨年の晩秋、突如として東京上空に現れ数分で消滅した謎の超巨大エネルギー体「ウルテリア」から飛散した、未知の結晶状物体。
 東京全域で無数に発見され続けるウルテルが内包するエネルギーは、動物の凶暴化、邪霊の活性化、果ては人間の妖魔化に至るまで、様々な超常現象の引き金になっている。
「アンジェリカが闇オークションを襲撃する前、《悪魔の銃》は組織のボスの手元に、〔鮮血〕のウルテルはギルドに属さない二人組の魔法使いの手元にあったの。
 一方は錬金術師、もう一方は精霊術師。金さえ積まれれば直接的な呪殺でも破壊工作でもやってのける、典型的な裏世界のはぐれ者ね。
 暗殺やら何やらの黒いつながりで、その二人組と組織とが接点を持った。で、どうも二人組のどっちかが、《天使の銃》が遠い昔に作られた本物のマジックアイテムだってことを知っていたらしいのよ。《悪魔の銃》の正体については知らなかったようだけど。
 二人組は〔鮮血〕のウルテルを手土産にしてボスに取り入り、《天使の銃》のレプリカを大量に作ることを条件に、とんでもない額の報酬を得た。
 その場でウルテルを《天使の銃》に組み込んでみたら、見た目の雰囲気がよりゴージャスになったとかでボスは大喜びしたそうよ。どうせ売るなら高く売りたいものね。
 けど、二人組が期待してたような、劇的な魔力の増強効果は見られなかった。
 二人組にしてみれば、もし《天使の銃》の魔力が目に適うものだったら、そのまま強奪することも辞さない覚悟だったんでしょうね。でもあてが外れて、結局は契約通りレプリカの製作――銃そのものじゃなくて、中に込める人造精霊のね――に精を出すことになって、オリジナルはレリーフの型だけ取った後、そのまま一般人相手の闇オークションに流された。
 だけどその時には既に、《銃》の中で200年以上も眠り続けていた悪魔は、ウルテルの力を取り込んで覚醒し……過去よりもさらに凶悪化していたの」
「凶悪化、ですか?」
「魂を奪い取る弾丸のことは過去の文献にあったけど、金属を腐食させる能力についてはどこのギルドにも記録がないの。
 これは推測だけど、悪魔がウルテルの力を利用して、自らに新たな能力を付加したんじゃないかと思うのよ。この大都会でより効率良く魂を喰らうためにね。
 一人ずつ撃ち殺していくよりも、何千何万と人の集まった建物を崩壊させた方がずっと手っ取り早いもの」
 全員がじっと注目し、ジェニファーの語りに聞き入っている。セルヒオのグラスの中でロックアイスが滑る涼やかな音が、静まり返った店内にやけに大きく響いた。
「それからほどなくして闇オークションが開かれ、《悪魔の銃》はアンジェリカの手に渡った。
 セルヒオの報告から推測するに、既にそのときから悪魔の邪悪な意志はアンジェリカの精神を徐々に侵し始めていたんでしょうね。
 大都会のど真ん中で手榴弾を投げたり、銃を向ける気力さえない敵の胸を撃ち抜いたり……普通なら考えられない危険な行動を取っていたのは、きっとアンジェリカ自身が気づかないうちに憎悪や攻撃性を増幅させられていたからよ。
 なるべく多くの死人を出し、その魂を喰らおうという悪魔の思惑によってね」
 唇を噛んでうつむくアンジェリカだが、事実は事実だ。ジェニファーは調子を変えることもなく続ける。
「そして、崩れる前の廃工場でついにアンジェリカが《悪魔の銃》の引き金を引いてしまったことで、契約は為され、悪魔は完全に力を取り戻した。
 それ以降、アンジェリカの記憶が曖昧になっているのは、悪魔が本格的に身体を乗っ取ろうとしていたからでしょうね。
 ジュラルミンの格子を《悪魔の銃》で破壊して病院から脱走したのも、以前レプリカを製作・保管していた廃工場に足が向いたのも、精神の大半を支配しかかっていた悪魔がそう望んでいたからだわ。
 そして翌日の晩、ずっと追い続けていたミジィと出会った時には、もう完全に悪魔に支配されていた。容赦のない殺戮と異常な言動が何よりの証拠よ。
 そして悪魔は最後の仕上げとして、アンジェリカの魂を喰らえば一気に力を高められると見て、ミジィの手でアンジェリカを撃たせようとした」
「……だけどあの子は、私を撃てなかった……」
「そう、それが悪魔にとって、1つ目の誤算だった。
 もしアンジェリカの魂まで奪って魔力に変えていたとしたら、エレーヌのフルパワーの邪眼でも止められなかったかも知れないわね。何といっても、《悪魔の銃》を1ヶ月近くも懐に持っていながらある程度は自分の意識を保っていたほどの、強い意志、強い魂だもの。
 そして2つ目の誤算は、精神攻撃を受けたセルヒオが、自力でそれを破ってみせたことね。
 最後に肉親の情を思い出したミジィ、過去の自分と訣別したセルヒオ、そして悪魔の精神支配に長期間抵抗し続けたアンジェリカ――あなたたちの、人間の意志の力があって初めて悪魔を退けることができたんだと、私はそう思うわ」
 小さく微笑を浮かべたジェニファーが、クッとグラスを傾けて2杯目のブルー・ムーンを飲み干す。
 アンジェリカは、少しぬるくなり始めたブランデー・エッグノッグをわずかに口に含んで、テーブルに視線を落とした。ジェニファーの言葉を心の中で反芻するかのように、じっと唇を引き結んでいる。
 沈黙したままのアンジェリカに代わって疑問を口にしたのは、慣れないジンジャーエール風味のモスコー・ミュールに戸惑っていた北斗だ。
「だけどジェニファーさん、《悪魔の銃》のオリジナルは俺たちが破壊しましたけど、レプリカの方はどこへ行ったんです?
 それに、レプリカを作った2人組とやらは? 魔法使いじゃ警察には捕まえられませんけど、今ものうのうと暮らしているようだったらそんなの冗談じゃないですよ」
「あら北斗さん、エレーヌから聞いてなかった?」
 意外そうに眉を上げながら、ジェニファーは運ばれてきた3杯目を口に運ぶ。
「あなたたちが《悪魔の銃》とやり合ってるちょうどそのとき、私の指揮で複数のパーティがマフィアの拠点に突入していたのよ。ボスとその2人組、そして以前の保管場所だった廃工場から移された大量のレプリカを押さえるためにね。
 こちらの作戦は滞りなく完了したわ。レプリカは全てギルドが押収、ボスと2人組は抹殺。
 魔法使いの2人はともかく、超常の力を持たないボスの抹殺にはギルドマスター間の協議でも賛否両論あったけど、最後は仕方ないってことになったわ。あまりにも裏の世界に踏み込みすぎ、そしてその力をためらいもなく悪用しようとした人間だから」
「ボスが死んだら、組織は壊滅……は、しないでしょうね。連中には米軍の悪徳将校がついてるって話ですし……」
「そうでもないわ。この事件、表の世界でも結構大騒ぎになってるから、さすがに米軍も綱紀粛正に乗り出さざるを得ないでしょう。
 そうなれば、後ろ盾を失った組織はあっという間に消滅し――その空白を奪い合って、別の組織同士で抗争が始まるわ。
 ま、それ以上首を突っ込む必要は私たちにはないわ。《悪魔の銃》が消えた以上、もう関係のないことよ。
 それとエレーヌから聞いたけど、《悪魔の銃》が破壊されたときに、何か赤い光が飛び出して夜空に消えていったそうね。たぶんそれ、《銃》に込められた人造精霊の、つまり悪魔の『核』にあたる精神体かなんかだと思うのよ。
 本当なら《銃》そのものは破壊せずにそのまま持ち帰ってくれたら、完全に浄化できたんだけどね……この東京のどこかで息を潜めている悪魔は、東京中に散らばったウルテルのエネルギーに紛れてしまって、私の力でも見つけられないわ。
 もしかしたら数年後、数十年後に、逃げ出した悪魔がまた何かしでかすかも知れないけど――それはまたそのときになってから、その時代のギルドメンバーがなんとかしてくれるわよ。
 なんにせよ、《悪魔の銃》に関してするべきことはもうないわ。これにて一件落着」
 もう一度喉を潤し、肩をすくめて小さく笑うジェニファー。
 その様子を何か割り切れないという顔で見やりながらも、北斗はアンジェリカに話を振る。
「ところでアンジェリカ、君はこれからどうするんだ? アメリカに戻るのか?」

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