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■堕ちた天使の舞う夜に:長良川広久さん作

第6章 ありがとう…いてくれてよかった

【4】

 自らの手に《悪魔の銃》を握って降下した悪魔が、強烈な光を放ちながらセルヒオの長身を完全に飲み込むのを、反応が遅れた北斗とエレーヌはただ見ていることしかできなかった。
「くそぉっ! セルヒオっ!!」
「このままでは……けれど、どうすれば……!?」
 二人とも自分の武器を構え、いつでも攻撃できる態勢ではある。しかし当のセルヒオを人質に取られてしまっているに等しい現状では、思い切った攻撃ができない。
 かといって、このまま手をこまねいていて、セルヒオが《悪魔の銃》に操られてしまうという最悪の事態になったら……ミジィとは比較にならない戦闘能力を持つ宿主を得た《悪魔の銃》が、さらなる殺戮の嵐を巻き起こすであろうことは想像に難くない。
 エレーヌの心に、4年前の痛ましい事件がよぎる。セルヒオは行き場を失った亡霊に操られ、多くのギルドメンバーが重傷を負い、自分自身も生死の境をさ迷った。
 あの時セルヒオの手にあったのは通常の銃。だが今度は、それ自体が凄まじい魔力と悪意とを併せ持つ《悪魔の銃》なのだ。
 最悪の事態に至る前に「最後の手段」を取るしかないのかと、エレーヌが唇を固く引き結んで表情を歪めた、その直後。

 ――ズガァンッ!! ――ガォゥンッ!!
『ギオオォゥゥウウアアァァッッ!!』

 覆い被さる狂気の光をまとめて吹き飛ばすかのように轟く、2発の銃声。
 ほぼ同時に、耳にしただけで背筋に悪寒が走るようなすさまじい絶叫が空気を震わせた。
 苦痛に歪んだ表情の悪魔が、出来損ないの合成音声を思わせる悲鳴を曳きながら、弾かれたようにセルヒオから離れる。激しくもがきながら5メートルほどの高さで止まったその姿が――。
「これは……主よ、今ここに、悪魔が……!」
 天使や悪魔については誰より造詣が深いエレーヌをして思わずそう口走らせるほど、禍々しく不条理なものへと変貌していった。
 美しい女性のものだった顔は、皮膚も眼球もない髑髏に。
 背中に広げていた優美な天使の翼は、翼竜の化石にも似た骨格だけのものに。
 さらには全身にまとっていた青白い光が失われ、代わって不気味な暗赤色の炎がその全身を押し包んでいく。
 激しく揺れる炎は骨だけの翼にも瞬く間に燃え移り、やがて無数の羽の代わりに空中へと広がって、差し渡し3メートルはあろうかという巨大な炎の翼を形成する。
 全身を包む炎の火勢が一気に強まり、女性の裸体を模した悪魔の身体は完全に見えなくなって、人間の形をした赤黒い炎の塊となる――髑髏の顔に燃え盛る体というその姿は、まさに地獄の炎を身にまとった翼持つ悪魔のそれだった。
 そしてその右手は、いまだ《悪魔の銃》をしっかりと握っている。
 しかし悪夢のようなその姿とは裏腹に、美しい天使の姿を失った悪魔に明らかな異変が起こっていることは、北斗にもエレーヌにもすぐにわかった。
『グオォ、フゥアァァ、キィァァ……ッ!』
 人型の炎となった悪魔は、ひどくひずんだ声色の悲鳴を断続的に上げながら、背中をのけぞらせ、あるいは丸め、頭をでたらめに振り、両腕を振り回し……激しい苦痛にのたうちまわっている。
 苦悶する悪魔とは対照的に、セルヒオは両の足でしっかりと大地を踏みしめて立っていた。
 まっすぐに伸ばした両腕の先には、真新しいクロムシルバーの光沢を放つ長大なリボルバー拳銃。もちろんその銃口は、空中で暗赤色の炎の塊へと変じた悪魔へと向けられている。セルヒオの両手にも余りそうなその銃の異様な大きさに、北斗は思わず目を見張った。
 冷却用の細い穴を上部に備える長大な銃身、装飾を排した野太いフォルムのシリンダー周り、そしてそれを支えるどっしりと重厚なグリップ。
 この重量感あふれる銃を前にしては、本格的な戦闘拳銃であるはずの北斗のグロック17ですら、おもちゃに見えてしまうかもしれない。
 44口径マグナムリボルバー、コルト・アナコンダ8インチカスタム。
 アメリカの名門コルト社のラインナップの中で、最大サイズのフレームに最長の銃身を組み合わせた拳銃だ。当然、そこから叩き出される弾丸のエネルギーはコルトの拳銃で最強となる。
 さらに、6連発のシリンダーに詰め込まれた弾丸はギルドメンバー用の特注品、規格外のタングステン合金鋼製徹甲弾。弾頭の硬度と貫通力を極限まで追求した、対物(アンチマテリアル)射撃用の弾だ。
 昨夜北斗と別れてから、セルヒオが『ロングワインディングロード』へ受け取りに行った2丁の銃。片方はM4A1、そしてもう片方がこのアナコンダと徹甲弾だった。
 敢然と銃を構える両腕の先、その細い漆黒の瞳が闘志を失っていないことに安堵した北斗のすぐ隣で、エレーヌが《悪魔の銃》を指差して驚きの声を上げる。
「北斗さん、あれを! レリーフのところに!」
『グゥゥ、フゥゥア……オオァ!』
 悪魔の身悶えがややおとなしくなり、狂ったように振り回していた腕の動きが落ち着いてきた。悪魔の全身を取り巻く炎は暗赤色でまぶしくないため、炎の間近であっても《悪魔の銃》の輪郭はしっかり見える。
 そして、エレーヌが指摘したレリーフの部分には――。
「赤い……なんです、あれは!?」
「ウルテルですわ! あれが《悪魔の銃》の邪悪な魔力の源……!」
 鋼鉄の塊である《悪魔の銃》の銃身も、至近距離からの徹甲弾の連射にはさすがに耐え切れなかったらしく、女性の顔のレリーフが一部分欠け落ちている。
 顔の左半分ほどが割れてえぐり取られたその奥に、拳銃の薬室部分には決してあり得ないものが――毒々しいまでに赤い色彩を持つ石のような物体がのぞいていた。
 暗い炎を照り返して不気味に輝くその色は、鮮血の色そのもの。
「魔力の源!? じゃあ、あれさえ破壊できれば!」
「ええ、勝機はありますわ!」
 大きなダメージを負った身体に鞭打って、キッと悪魔を見上げる二人。
 そして、悪魔を挟んでほぼ直角の位置に立つセルヒオが、これまでにない決意を込めた声で二人に呼びかける。
「シスター、北斗! 奴の動きを止めてくれ! 俺が《悪魔の銃》を破壊する!」
 その声にしっかりとうなずき返したエレーヌが、グロックを構えたままの北斗に小声で問う。
「北斗さん、その銃の中身も銀の弾丸ですか?」
「ええ、この1マガジンで最後ですけど」
「十分ですわ。残った全ての魔力を攻撃魔法に回します――その間、私を守って下さいますか?」
「わかりました」
 俺の命に代えても必ず――その言葉は心の中に留めてしっかりとうなずいた北斗が、眼球のない髑髏の顔を向けてくる悪魔の視線からエレーヌをかばうように立つ。
 その背後でエレーヌが大きく息を吸い込み、決然たる意志を込めて呪文を詠唱した。
『我、夜の貴族の証たる魔の瞳をここに開かん!!』
 ヴァンパイアの血脈を象徴するエレーヌの赤銅色の瞳が、詠唱と同時にカッと見開かれ、一気に解放された魔力が陽炎のように周囲の光景を歪ませる。
 その視線の先に捉えられた悪魔の動きが、突如として、完全に静止した。否、させられた。
 全身を包む暗赤色の炎は燃え盛っているが、身体そのものは指一本すら動かすことができず、空中で完全に固まっている。
 魔力を不可視の精神波へと変換し、敵の魂や精神を直接攻撃する「邪眼(イヴィル・アイ)」。
 霊体である悪魔は、エレーヌの展開した精神エネルギー場によって動きを束縛されているのだ。
『ギイィィアアァヴオオォォゥゥッ!!』
 エレーヌの邪眼によって空中に縫いとめられながらも、悪魔は剥き出しの歯の間から身もすくむような濁った咆哮をほとばしらせる。手足が動かせないとみるや、暗赤色の炎の翼を大きく打ち振った。
 限界まで広がった翼から、炎で形作られた蝙蝠のようなものが何十匹も飛び出し、北斗たちの立つ一帯へと絨毯爆撃さながらの勢いで降り注ぐ。着弾と同時に邪気を含んだ火柱と熱風が吹き上がり、エレーヌの金色の髪を大きくなびかせる。
 しかし北斗は、自分でも驚くほど冷静に、炎の雨の軌道を一つ一つ見極めていた。
(さっきのような誘導弾じゃない。当たるものだけ落としていけばしばらくは持ちこたえられる!)
 愛銃グロック17をしっかりと両手に構え、自分たちに向かってくるものだけを正確に選別して次々と撃ち落としていく。銃口が軽く跳ねるたび、銀の弾丸に打ち抜かれた炎の蝙蝠が光の粒子となって空中に溶ける。
 そして北斗たちの側面からは、空気そのものを叩き割るような激しい銃声。
 セルヒオのアナコンダが巨大なマズルフラッシュを噴き上げると同時に、8インチ銃身から繰り出された徹甲弾が《悪魔の銃》の銃身先端付近に食い込み、そこから先の銃身をもぎ取った。
『ウゥアアァァオオアアァァ!?』
 老人の声、青年の声、女性の声、子供の声……様々な声の交じり合った絶叫が、髑髏の口からほとばしる。
 あるいはそれは、遠い昔から今までに《悪魔の銃》が喰らってきた人々の魂が残した、無念と怨嗟の声なのか。
『ググゥゥ、グガアァァウゥッ!!』
 悪魔が憎悪に満ちた咆哮を上げ、炎の雨の標的が北斗たちからセルヒオへと切り替わる。
 魔法的な防御手段を持たないセルヒオの頭上から、殺意に満ちた炎の蝙蝠たちが風を巻いて降り注ぎ、その長身が無数の火柱の向こうに見えなくなる――。
「セルヒオーっ!!」
 銃を構えたまま絶叫する北斗。
 それに応えたのは、大気を引き裂く44口径マグナムリボルバーの獰猛な銃声。
 ナパーム弾の爆撃のような炎の嵐を、セルヒオは冷静にくぐり抜けていた。身動きできない悪魔との距離をさらに詰め、すかさずアナコンダの引き金を引いたのだ。
 ――だが、露出した〔鮮血〕のウルテルに徹甲弾がヒットし、小さなヒビを入れた瞬間。
 セルヒオの左胸に、突き刺さるような衝撃と激痛とが走り、身体が大きくよろめいた。
 反射的に左手で痛みの発生源を押さえる。防弾板に深々と食い込んでいるのは、跳ね返ってきたタングステン合金鋼の弾頭。
 跳弾が一直線に心臓めがけて返ってくるなど、普通では到底考えられない――これも恐らく、ライフルの弾道すら曲げる《悪魔の銃》の魔力の仕業だ。
 だがセルヒオは倒れなかった。倒れるわけにはいかなかった。
 杭を地面に突き刺すかのように、ダンッと音を立てて右足を踏みしめる。
 激痛に息が詰まりぐらつく身体を支え、両手でアナコンダを構え直したセルヒオが、吼える。
「――オオォッ!!」
 5発目の徹甲弾が、空中に縫い止められた《悪魔の銃》へと叩き込まれた。鋭く尖った弾頭の先端が〔鮮血〕のウルテルに深々と食い込み、さらにヒビを広げる。
 同時に別方向から乾いた銃声――エレーヌの前に立つ北斗が、グロック17に残された全弾を髑髏に撃ち込み、悪魔の魔力を封じ込める。
 再度アナコンダの撃鉄を起こし、照準の先に捉えたレリーフの顔に向かって、セルヒオは叫んだ。
「これで、終わりだ!」

 ズガァァン……ッ!! 

 アナコンダが吐き出した最後の弾丸は、ウルテルに食い込んでいた5発目と完全に同じ位置にヒットし、超高硬度のタングステン合金鋼弾頭をさらに奥へと打ち込んだ。
《悪魔の銃》の銃身に埋め込まれた〔鮮血〕のウルテルが、ついに粉々に砕け散る。
『ウ、ア、オアアアアアァァァーーーッッ!!』
 地獄の炎をまとった悪魔は、絶叫しながらその形を失っていく。
 悪魔の身体を構成していた暗赤色の炎が、ボトボトとちぎれては地面にこぼれ落ちて消え、地面に残っていた火柱も空気に溶けるようにかき消えて――最後に、人間でいえば心臓にあたる位置に残ったごく小さな炎が、打ち上げ花火のように夜空へと飛び去っていった。
 周囲の地面に降り注ぐ〔鮮血〕のウルテルの無数の破片は、すぐに固形からゲル状へと変化し、炎であぶられて乾ききった土に吸い込まれていく。その様は、流れ出した血液が地面へと吸い込まれていく様子とよく似ていた。
 そして、銃身の根元から二つに折れた《悪魔の銃》が、ガシャンと耳障りな音を立てて転がった。
 あの美しかったアンティークガンは、見る影もなく黒錆の塊に変わり果てていた。

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