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■堕ちた天使の舞う夜に:長良川広久さん作

第5章 それとも私に殺された方が嬉しいの?

【3】

 ――ドバゥン、バゥンッ、バガァンッ!!

 激しい銃声が暗闇を震わせたときには、ミジィの体は既に横倒しになっていた。
 エンジェルが手に持っているものがショットガンだといち早く見抜いたセルヒオが、反射的にミジィの胴体に飛びつき、発射寸前に地面へと押し倒したのだ。
 だが、セルヒオの咄嗟の行動は大した意味を持たなかった。エンジェルがその銃口の先に捉えていたのは、ミジィではなかったからだ。
 セミオートマチックモードに切り替えられるショットガンは、一射ごとにポンプを引いて排莢する必要がない。立て続けに3度吼えたベネリM3は、ミジィの後方で拳銃を構えていた黒服の一団に残忍な牙を剥いた。
「ギャアア!」
「ぐっ、うがあアッ!?」
 エンジェルの位置から黒服までは30メートルほども離れている。ショットガンの弾は広く散らばり、空気抵抗によって運動エネルギーも減っているため、通常の散弾ならば大した傷にはならないはずの距離――だが、銃口から吐き出された鉛弾の嵐は、3連射で7人もの黒服をまとめてなぎ倒していた。
 そのすさまじい破壊力に、地面に伏せたまま頭だけ上げたセルヒオが目を見張る。
(この威力――マグナム・バックショットか!)
 エンジェルは以前、単独で組織の麻薬倉庫を襲撃した際、マフィア3人をショットガンによって殺害している。北斗から聞いた話では、検死の際に摘出された弾は通常の散弾ではなく、はるかに破壊力の大きいバックショット(狩猟用大型散弾)だった。
 一般的なショットシェルには、直径3ミリにも満たない小粒の鉛弾が100個近く詰め込まれている。だがエンジェルが使ったバックショットの中身は、直径8.4ミリの弾が9個。つまり散弾の1個1個が、セルヒオや北斗の持つ9ミリ拳銃弾とほぼ同じサイズを持っているのだ。アメリカの警察では対車両用、対凶悪犯用に使われる弾薬で、そのパワーは通常散弾とは全く比較にならない。
 ずっと捜し求めていたはずの獲物が目の前にいるのに、突然の銃声に泡を食った他の黒服たちは反応が遅れた。散弾を受けた一団が上げた悲鳴と、地面に倒れ込む重い音を耳にして、ようやく事態を把握した様子だ。拳銃の狙いをセルヒオからエンジェルへと切り替え、一斉に撃ち始める。
 エンジェルが素早く瓦礫の後ろに屈み込んで身を隠すのを確かめると、セルヒオは身体の下で歯をカチカチと震えさせているミジィに強く言い聞かせた。
「無事だな? 銃声が止むまでそこに伏せていろ、流れ弾に当たりたくなかったら絶対に身体を起こすな!」
 ミジィの顔色は真っ青を通り越して紙のように白くなっていたが、それでもどうにかセルヒオの言葉は理解できたらしい。震えながらも小さくうなずいたのを見て立ち上がったセルヒオは、可能な限り身を低くしながら、東側の瓦礫の山へ向かって猛然と走った。流れ弾が周囲を何発もかすめる中、小山のようになった瓦礫の裏側へとどうにか無傷で飛び込む。
 横を見ると、別の瓦礫の裏に張り付いたエンジェルが、殺気をみなぎらせた鬼気迫る表情でベネリM3に新たな弾を詰め込んでいた。
『一体どうなってるんだ、セルヒオ! エンジェルがどうしてここに、こんなタイミングで現れるんだ!?』
「分からん。とにかく今は敵を黙らせるのが先決だ。
 米軍とつながっている連中だ、これだけ大人数で来て武器が拳銃だけとは思えん。連射系の火器を持っている奴を狙ってくれ」
『……了解した。』
 北斗はまだ何か言いたそうな様子だったが、セルヒオとエンジェルの身に危機が迫っているのは事実だ。それ以上の追及はしてこなかった。
 さっき撃った3発分を詰め直し、しっかりとベネリM3を両手に持ち直したエンジェルが、瓦礫の向こうの様子をうかがいながら声をかけてくる。
「誰と話してるのよ、セルヒオ?」
「北斗だ。高所からスナイパーライフルで敵を狙っている」
 頭を半分出そうとしたエンジェルが、立て続けに瓦礫の表面で弾ける着弾音を聞いてあわてて首を引っ込める。セルヒオの予測通り、サブマシンガンかマシンピストルとおぼしき、拳銃の単発とは明らかに異なる連続的な銃声が混じり始めていた。
 一方セルヒオは、すぐ近くのボロボロに錆びて折り重なっている鉄骨の陰へと移動すると、その一番上に置いてあった黒光りする鉄の棒を手に取った。その鉄の棒だけが真新しく、しっかりとオイルで磨かれて金属独特の光沢を放っている。
 コルトM701――別名、米陸軍制式M4A1アサルトライフル。
 米軍で古くから使われているM16ライフルの設計を見直して全長を短くし、セミオート/3点バースト/フルオート射撃の切り替え機能を持たせた、近〜中距離戦向きの自動小銃である。
 北斗と2人で多数の敵を相手取らなければならない事態に備えて、あらかじめセルヒオが「下準備」としてここに用意しておいたものだ。まさかそこにエンジェルが現れるなどとは考えてもみなかったが。
 安全装置を外し、迷うことなくフルオートを選択するセルヒオ。いつでも撃てるようにグリップを握り、瓦礫に張り付いた状態でエンジェルに問う。
「どうしてここへ来た? なぜ俺たちとミジィがいると?」
「そんなことどうでもいいでしょう、とにかくメアリーをあいつらに連れて行かせはしないわ!」
 口論しながらも同時に瓦礫から身を乗り出したエンジェルとセルヒオが、それぞれの得物を撃つ。バックショットが黒服2人を同時になぎ倒し、超高速で掃射されるライフル弾が3人をその火線に捉えた。
 すかさず身を隠すセルヒオたちに向かって反撃しようとした黒服は、1人また1人と肩口や腕を押さえて銃を取り落とす。致命傷になる部分は避けつつも確実に戦闘能力を殺ぐ、北斗の超精密狙撃だ。
「だ、だめだ、逃げよう!」
「逃げるって、ミス・バーネットを置いてか!? それこそボスに殺されるだろう!」
 黒服たちの上ずった声が、密度の低くなった銃声の合間を縫ってセルヒオたちの耳に届く。
 途端、エンジェルの青い瞳が吊り上がり、ギラリと暗い光を放った。
「ミス・バーネット? ……そう、そういうこと!」
 地面に這いつくばり、転がったワルサーを拾うこともできずに頭を抱えて震えるミジィ。そんなミジィを見かねたのか、黒服のひとりが車に駆け込んで、タイヤが甲高く鳴るほどの急発進で飛び出してきた。車を盾にしてミジィを避難させようというのだろう。
 だが、エンジェルとミジィとの間に車体を割り込ませるより早く、瓦礫の陰から立ち上がったエンジェルがベネリM3の銃口を運転席へと向けた。
 2度の轟音と共に、フロントガラスが粉々に砕け散る。無論、その先にあるものも同じ運命を辿った。
 ドライバーを失った車はあらぬ方向へと逸れて、そのままの速度で別の黒塗りの車に激突し、フロントが跡形もなくひしゃげた姿で動きを止める。車を遮蔽物に使っていた数人が恐怖に引きつった顔で飛び出してきたが、直後にM4A1のフルオート射撃を叩き込まれてその場に崩れ落ちた。
 ――そして、エンジェルが現れてからわずか2分もしないうちに、黒服たちは一人残らず戦闘不能に陥って地面に倒れ伏した。
 いくら3対20とはいえ、火力も技量も、何より命のやり取りをする覚悟も、あまりに違いすぎたのだ。
『ここから見る限り、もう銃を構える気力の残っている奴はいないみたいだが……本当に何がどうなってる、セルヒオ?
 さっきは聞く暇がなかったが、エンジェルは何をしにここへ? どうやって俺たちやミジィの動きを知ったんだ?』
「分からん。状況を確かめたければこちらへ降りて来い。もう狙撃は必要ないだろう」
 セルヒオは襟元のマイクにそう言いながら、手元のM4A1をセミオートに切り替える。安全装置をかけるのはまだ早い。
 黒服たちの抵抗がなくなったのを確かめると、エンジェルは右手にベネリM3をぶら下げ、左手で少し乱れた前髪をかき上げた。ゆっくりとした動作で視線をめぐらせ、空き地のほぼ中央にへたり込んでいるミジィを見つけると、冷え切った青い瞳でじっと見据える。
「さあ、邪魔者はいなくなったわよ。これでゆっくり話ができるわね、メアリー」
「い、いや……いや、来ないで、アンジェリカ……!」
 立ち上がることすら忘れて地面に尻餅をついたまま、ガタガタと震える両手にワルサーPPK/Sを構えるミジィ。しかしエンジェルは銃を向けられていることを気にも留めず、まっすぐミジィに歩み寄っていく。
「メアリーに私は撃てないわ。そうでしょう? 最後に別れたあの時だって、殺そうと思えばできたはずなのにどうしても撃てなかったのよね、あなたは」
 ミジィの目の前1メートルまで来たエンジェルは、無造作に右手を振るい、ベネリM3の先端でミジィの手元を払った。
「熱っ!?」
 度重なる連射によって焼け付くような高熱を帯びた銃口が手の甲に触れ、ミジィは思わずワルサーを手放してしまう。
 そのワルサーを遠くに蹴り飛ばしたエンジェルは、何を思ったか自らの得物を後方に放り捨てると、もはや身動きすらできなくなったミジィのそばに屈み込み、おびえた顔を覗き込むようにして微笑を浮かべた。
「何をする気だ、エンジェル?」
「口を挟まないで、セルヒオ。ここからは私たち姉妹の問題だから」
 口元に微笑を浮かべたままセルヒオを制するエンジェル。しかし、その優しげな声色とは裏腹に、ターコイズブルーの瞳だけは全く笑っていなかった。
 怒りも憎しみも哀しみもなく、今までミジィの話をしたときに見せていた激しい感情も一切読み取れない――自分の瞳を鏡で見るよりもなお、人間性というものが全く欠けている。
 セルヒオの胸に、言い知れない不安感がよぎった。
 いぶかしげに見つめるセルヒオの視線を無視して、仔犬のように声もなく震えるミジィの髪を指で梳きながらエンジェルは問う。
「ねえ、メアリー。『ミス・バーネット』って、どういうこと?
 父さんとお義母さんが結婚してからずっと、メアリー・バーネット・ジョンストンで通していたのに、どうしてジョンストン姓を使うのをやめてしまったの?
 私とは、アンジェリカ・ジョンストンとはもう姉妹じゃないっていう、意思表示なのかしら?」
「そ、それは……だって、私あのとき……アンジェリカを裏切って、だからわた、私は……アンジェリカの妹である資格がないと思ったから……!」
「ふうぅん、そう……私のこと大嫌いだからやめちゃったんじゃ、ないのね?」
 目に涙をにじませながら、壊れた人形のようにカクンカクンと何度も首を縦に振るミジィ。不気味な微笑を浮かべたまま、恐怖に震える妹の瞳を覗き込んでいたエンジェルが、ややあって再び口を開く。
「まあ、いいわ。それよりメアリー、ひとつ答えて。
 あなたたちの組織、この工場跡の地下に、たくさんの《天使の銃》を隠していたのよね? 私にはわかるわ」
「え!?」
 驚愕に目を見開き、反射的に顔を上げるミジィ。しかしエンジェルの凍りつくような視線に射すくめられ、息を呑んで固まってしまう。途切れ途切れの声を上げるのが精一杯だった。
「な……ど、どうして、それをっ……!?」
「何? 《天使の銃》が……複数あるだと!?」
 常に冷静沈着なはずのセルヒオですら、エンジェルが語った衝撃の内容には驚きを隠せなかった。
 ミジィの反応から察するに、エンジェルはカマをかけたのではなく、確信を持って問いかけたようだが……そんな情報は今まで、どこのギルドからも入ってきていない。東京圏全域に情報網を張り巡らせているはずのギルドですら掴めなかった情報を、なぜエンジェルは知っているのだろうか?
「どうなの? 私が持っているのはオリジナルだけど、組織が人に頼んで作らせたレプリカがたくさんあるはずよね? まだあそこの瓦礫の下にあるの?」
「し、し……知らないわ、私は知らない……この件はボスが直轄で仕切っていたから、私はほとんど何も知らないの……つい最近、ここが倒壊する前に、大量の武器がどこかへ運び出されたとしか……!」
 今にも泣き出しそうになって叫ぶミジィと、見ているだけで寒気がする微笑を浮かべたままのエンジェル。やめさせた方がいいと感じながらも、エンジェルの近寄り難い雰囲気に押され、セルヒオは口を挟めずにいた。
「嘘じゃないのね?」
「う、嘘じゃないわ! 信じてっ!」
「そう。じゃあ、この話はもういいから……メアリー、今からあなたにもう一度チャンスをあげる」
「……え?」
 エンジェルが何を言っているのか理解できず、きょとんとなって姉の顔を見つめるミジィ。
 そんなミジィの様子を見ながら、エンジェルは真紅のジャケットの懐に左手を差し入れ、《天使の銃》を取り出した――そして。
「ほら、これを持って」
「え? ……ええ!? な、なにを……!?」
 ミジィのたおやかな右手を取り、そこに《天使の銃》を握らせたのだ。
 奇怪な姉の振る舞いに、そしておよそ人間味の欠けたその眼光におびえるミジィは、エンジェルの手を振り払うことすらできず、されるがままになっている。
 エンジェルは、まるで幼子と遊ぶ母親のように、自分の手を妹の手に添えた。
 そこに握らせた《天使の銃》の銃口を――あろうことか自分の胸に向けさせて、変わらぬ優しい口調で言う。愛しい娘をあやすように、ことさらにゆっくりと。
「いいのよ、トリガーを引いても。ほら、指をかけて。銃の撃ち方くらいわかるでしょう?」
「ひっ……い、いや……やだ、アンジェリカぁ……!」
 あまりの恐怖に、とうとうミジィの瞳から大粒の涙があふれ出した。声にならない嗚咽を上げながら、細かく左右に首を振る。
「いやぁ、やめて……許して、アンジェリカ! ひぐっ……ごめんなさいっ、だからもう、もうやめてよおっ……!」
「やめるって何を? 私はメアリーの望みを叶えてあげようとしているのよ? 遠慮なんてしなくてもいいんだから。
 ここにする? それともこっちの方がスッキリするかしら?」
 氷の微笑でミジィを見下ろしながら、《天使の銃》の銃口を自分の心臓に、ついで額に向けさせるエンジェル。
 あまりにも常軌を逸している、というより何かが狂っているとしか思えない言動に、とうとうセルヒオが大声を上げた。
「もうやめろ、エンジェル! 《天使の銃》を放せ!」
「だめよ。決着をつけるのは今しかないの。これだけは邪魔させないわ、絶対に」
 セルヒオをチラリとも見ずに答えたエンジェルは、右手をミジィの顎に添え、クイッと引き上げた。
 無理矢理に見上げさせられたミジィの瞳が、人間のものとは思えないほど冷え切ったエンジェルの視線に射抜かれ、限界からさらに見開かれる。
「ひっ……!!」
「いいのよ、私を殺したいんでしょう。ただし……今度こそ、自分の手で選びなさい。
 そうしたら、私はあなたを許してあげるわ。それとも――」
 蜜のように甘く優しい声で、エンジェルはとどめの一言をささやいた。

「それとも私に殺された方が嬉しいの?」

 ミジィの瞳孔が、点になるまで収縮する――そして、
「NO――――――――――――――――――――――ッッッ!!」
 喉も張り裂けんばかりの絶叫と同時に、《天使の銃》が青白い閃光を放った。

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