■堕ちた天使の舞う夜に:長良川広久さん作第5章 それとも私に殺された方が嬉しいの?【2】
防弾ベストに迷彩パンツ、おまけに堂々とベルトホルスターに吊るした二丁拳銃という、およそ文明国の首都で見かけられるものとは思えない重装備に身を固めたセルヒオの姿を見て、ミジィは思い切り怪訝そうに目を細めてみせた。
「一体どうしたのよ、そのクレイジーな格好は。これから戦争にでも行くつもり?」 「組織の幹部であるお前が独りで来るとは思えないのでな。ある程度の自衛手段を用意させてもらった。 それと、クレイジーというならお前もあまり人のことは言えまい。もう少しセンスを磨け」 「あら、言ってくれるじゃない」 クレイジーと言われても眉一つ動かさずやり返したセルヒオに、ミジィは小さく肩をすくめてみせる。組織の幹部、とセルヒオが口にしたのを聞いて、細い眉をかすかに上げて口元だけで小さく笑った。 「そう……もう私の正体はお見通しというわけね。どうせエンジェルから聞いたんでしょう? できれば『ただのエンジェルの妹』で通しておきたかったけど、知られたのならそれはそれで別に構わないわ。 見ての通り、私は独りよ。もちろん運転手と護衛には拳銃くらい持たせているけど、その程度でどうにかできる相手じゃないでしょう、あなたは。私が何か気に入らないことを言ったら、いつでも撃っていいのよ、セルヒオ?」 余裕を見せ付けるかのように薄く笑みを浮かべてそう言ったミジィが、冷ややかな目つきでセルヒオの長身を見上げる。 「私のことより、あなたはどうなのよセルヒオ。闇オークションへの乱入、ナイトクラブ襲撃、その両方でエンジェルと行動を共にしていた謎の男――私が聞いたところでは、メキシコ人と日本人の2人組のはずよ。 もう1人の日本人はどこにいるの? どこかそのへんに隠れて罠を張ってる、なんてことはないでしょうね?」 「エンジェルに付き添っている。彼女は重傷を負って入院中だ」 極めて正確なミジィの指摘にも、セルヒオは落ち着き払ってスラスラと嘘をついてのける。対照的に、ミジィはハッと息を呑んで顔をこわばらせた。 先程までの余裕はまばたき一つの間に消え、『ロングワインディングロード』で会ったときと同様のすがるような目で、感情の見えないセルヒオの漆黒の瞳を見上げる。 「重傷ですって? いったいどこでそんなケガを?」 「昨夜この工場跡が崩壊したとき、ここにエンジェルがいた。俺たちが来たときには既に工場は崩壊していて、瓦礫に巻き込まれて重傷を負ったエンジェルが倒れていた。それをこちらでかくまった」 セルヒオはここで一旦言葉を切り、ミジィの反応をうかがう。が、ミジィはさほどショックを受けた様子を見せなかった。 「……そう。やっぱりこれをやったのはエンジェルなのね」 「驚かないのか」 「だって警察の発表では、13人の死者のうち12人の死因は圧死じゃなくて、同一の拳銃による射殺だって言っていたじゃない。 私たちだっていろいろと敵は抱えているけれど、同業者だったらここまで無茶な襲撃はしないわ。二つの組織で徹底的に潰し合いを始めれば、また別の組織がその隙をついて漁夫の利をさらっていく……私たちの住むのはそういう世界。 だから、こんな無茶苦茶なことをするのはエンジェル以外にはいないのよ。どうやって建物をこんな風に崩壊させたのかまでは想像つかないけどね」 空き地のすぐ東隣に広がる鉄骨と瓦礫の山を指差しながら言ったミジィは、不安を隠し切れない眼差しでセルヒオを見た。 「それで、エンジェルの容態は? ケガの具合はどうなの?」 「しばらくは動けないだろうが、命に別状はない」 「そう……よかった……」 ミジィは胸に手を当ててひとつ息をつくと、そこで何かをためらうかのように唇を噛んだ。足元に視線を落とし、やや間を置いて思い詰めたような顔を上げる。 「ところで、前に頼んだ言伝……エンジェルにはちゃんと伝えてくれたの?」 「ああ、昨夜確かに伝えた。《天使の銃》を組織に返して早く東京から逃げろと、お前が言っていたと。つい前日お前に会ったということを聞かせたら、ひどく驚いていたな」 「……それで、エンジェルはなんと?」 「どうあっても復讐をやめる気はないらしい。駐留米軍とも黒いコネのある組織をすべて潰すのは不可能でも、ボスの首だけは自分の手で取ると言って聞かなかった。それと、復讐の対象には組織の幹部であるお前も入っていると、はっきり言い切った」 淡々と事実を告げるセルヒオの前で、ミジィは力なく頭を垂れ、たおやかな手をギュッと握りしめた。 「そう……やっぱり、私を許してはくれないのね……」 弱々しく呟いて、肩をかすかに震わせる。 月も星もない夜空を振り仰ぎ、やるせないため息をついたミジィは、懇願するような表情でセルヒオに向き直った。 「……あなたの取り次ぎで、エンジェルと会えない?」 「会ってどうするつもりだ。わざわざ殺されに行くのか、それとも今のように大人数で待ち伏せして力ずくで《天使の銃》を奪い取るのか?」 セルヒオは冷厳な瞳でミジィを見下ろして言うと、わざとらしく空き地の周囲の暗闇をグルリと見回す。ミジィはその様子にビクッとなって息を呑み、反射的に一歩後ずさった。 「――な、何を言っているの? さっきも言ったでしょう、私は独りだって」 「演技はそこまでにしろ。俺を甘く見てもらっては困る。もっとも、俺一人捕まえるのに20人もの手下を動員するというのはやり過ぎだと思うが」 さもつまらなさそうに言い捨てるセルヒオ。しかしその鉄面皮の奥では既に、瓦礫の山にすぐ隣接する東側を除いた三方を包囲されている現在の状況から、どうやって工場跡方面へ脱出するかというシミュレーションを開始していた。 いくら腕利きのギルドメンバーといっても、セルヒオは純粋な人間だ。一部の獣人や半妖のように夜目が利くわけではないから、30メートルも先の暗闇に、しかも真っ黒なスーツを着込んで潜むマフィアたちの姿は全く見えていない。 ミジィには悟られていないようだが、20人の黒服に包囲されているというのは自分の目で確かめたのではなく、左耳の内側に隠した補聴器型のレシーバーで北斗が伝えてきた情報だった。ミジィと会話しながら、北斗の声にも耳を傾けていたのだ。 遠くの高層マンションから狙いを定めているはずの北斗には、右腰のベレッタを抜いて走り出すまで絶対に撃つなとあらかじめ言ってある。ミジィを呼び出した目的はあくまでも説得であって、無駄な戦闘は避けたいからだ。 どちらかが発砲すれば、そのまま激しい戦闘になることは間違いないだろう。敵側には少なくない人数の死傷者が出るだろうし、セルヒオ自身もこれだけの人数に一斉射撃されたら無傷で済む自信はない。防弾ベストはあくまでも胴体しかカバーできず、頭や脚を撃たれればそれまでだからだ。敵の動きを止めるためのスタングレネードも、住宅地の真ん中の開けた場所、しかも自分が中心になっている状況では使いにくい。 頭では最悪の事態を想定しながら顔色一つ変えずにいられるという意味では、セルヒオの行き過ぎた冷静さも今回ばかりは役に立っていると言えるかも知れない。そんなセルヒオの――少なくとも外から見る限りは――堂々とした態度に気おされたかのように、ミジィは焦りの色を浮かべた。 「……気づかれているのなら、もう余計な話はしないわ。さあセルヒオ、《天使の銃》をこちらに渡して」 「先程の質問に答えたらな。エンジェルと会ってどうするつもりだ?」 「どう……って……」 言葉に詰まったミジィが目をそらした。誰もいない暗闇に視線をさまよわせる。 「LAで追われる者と追う者になって以来、ずっと会っていないの。だから、とにかくお互いの顔を見て……そして、私を許して欲しいの。ただそれだけよ。あなたには理解できないかも知れないけど……」 「ならば、お前が組織を抜けたらどうだ。 昨夜話したエンジェルは、組織の側にいる人間は許さないと言っていたが、お前と暮らしていたLAでの生活を懐かしんでもいた。お前が組織の人間でなければ、エンジェルもすぐに銃を向けてくることはないだろう」 ついに本題に入ったセルヒオ。だが、それを見上げるミジィの表情は半信半疑だ。 「私が、組織を? ……それは、エンジェルが言っていたの?」 「いや、俺が勝手に言っていることだ。だが間違ってはいないと思う。 俺も3人の弟や妹を持つ身だ。年下のきょうだいの成長を見守ってきた人間の心理はわかる。いくら憎んでいると口で言っていても、非情には徹し切れないものだ。 昨夜のエンジェルの様子を見る限り、お前への愛情を完全に捨て去ったわけではないように思えた。お前とて、心から望んで組織に留まっているのではないはずだ――違うか?」 「……それは……」 口調こそ静かだが有無を言わせぬ説得力を持つセルヒオの言葉に、ミジィは唇を噛んでうつむく。美しい横顔に浮かぶのは、深い逡巡の色。 セルヒオにはある種の確信があった。非情かつ実利的でなければ務まらない麻薬組織の幹部を名乗るには、ミジィはあまりにも人間的すぎる。組織全体がその面子にかけてエンジェルを狩り出そうとしている中、独りセルヒオに接触して姉の命を助けようとした行為は、組織から見れば明らかな裏切り行為だ。 そしてこうした組織のルールは世界中どこでも同じ、「裏切りは死」。 にも関わらず、エンジェルを逃がしてと頼んだミジィの思い――それは間違いなく、家族の身を案ずるひとりの人間としての心であったはずだ。今は大量の黒服を引き連れているが、それも本心からではないのだろう。 迷いを見せるミジィの答えを、セルヒオは急かすことなく待った。 5秒が過ぎ、10秒が過ぎ……ミジィが静かに顔を上げる。 そのミジィの目の色を見た瞬間――セルヒオは本能的に右腰のベレッタに手をかけていた。 「動かないで!」 だが、動作開始から発砲まで0.4秒のクイックドローを誇るセルヒオよりも早く、ミジィの鋭い声が空気を震わす。直後、周囲の闇の中で動きがあった。カシャンというかすかな金属音があらゆる方向から聞こえる――拳銃のスライドを引いて初弾を薬室に送り込む音だ。 「ミジィ!」 「あなたの言葉は嬉しかったわ、セルヒオ……でももう引き返せない、もう遅いのよ何もかも! 今さら……今さらそんなことを言われても、私に何ができるというの!? 幹部といったって、ボスの監視の下にあることには変わりないわ! 《天使の銃》を取り返し、エンジェルを殺せ、そう『命令されている』のよ! 従わなければ、エンジェルだけでなく私も組織に消される! さあ、セルヒオ! 死にたくなかったら早く《天使の銃》を渡しなさい!」 柳眉を逆立て、やけを起こしたかのように早口でまくしたてるミジィを、セルヒオはかすかな憐憫の情を込めた視線で見下ろした。ベレッタから右手を離しながら、ゆっくりと告げる。 「残念だが《天使の銃》はここにはない。まだエンジェルが持っている」 「命乞いのつもり? 電話では持ってくると言っていたじゃない! それじゃあそのエンジェルはどこにいるの? 言えば見逃してあげるわ、もし言わなければ……!」 ギリッと奥歯を噛んで、その先の言葉を押し殺すミジィ。露骨な脅迫を前にしても、硬い表情のまま唇を引き結ぶセルヒオ。 答えられるはずもなかった。エンジェルの身柄を確保しているということ自体が嘘なのだから。 無言を通すセルヒオを睨みつけ、ミジィはさらに声を荒げた。 「……そう、あくまで口を割らないつもりなのね。エンジェルへの義理立てかしら? まあ、どうでもいいわ……こうなった以上、あなたともう1人の日本人を消してゆっくりとエンジェルを探させてもらうしか、私の選択肢はなくなってしまったんだもの!」 ありったけの自嘲と絶望とを込めて吐き捨てたミジィが、懐からステンレスシルバーの小型拳銃を取り出してセルヒオの頭に狙いを定める。 セルヒオよりはるかに小さいミジィの手の中に、ちょうどいいサイズで収まる拳銃。セルヒオのベレッタよりも一回り小さく、銃口付近のデザインはやや丸っこい――38口径オートの名作、ワルサーPPK/S。 両腕を伸ばして構えるミジィの銃口からセルヒオの額まで、ざっと5メートル。銃口は狙点が定まらず細かく震えているが、どんな素人でも外しようのない距離だ。ギルドメンバーの体術をもってしても、飛びかかって銃を奪い取るには遠すぎる。 さらに、普段なら銃を向けられれば無条件で撃ち返すはずのセルヒオが、今に限って銃を抜くことをためらっていた。相手は素人なのだから、その気になれば身を沈めながらのクイックドローで弾をかわしつつ撃ち返す事もできるはずなのだが、なかなか決心がつかない。 エンジェルとミジィ、ほんの小さなすれ違いから敵対してしまった姉妹にこんな結末を迎えさせてしまっていいのか……どうしても拭い去れないその疑問が、セルヒオの行動力に束縛をかけている。 『セルヒオ! 俺がなんとか援護する、とにかく動け!!』 絶叫にも近い北斗の大声を左耳のレシーバーに聞きながら、それでも身動きの取れないまま立ち尽くすセルヒオを見据えて、ミジィは叫んだ。 「あなたが、あなたがエンジェルから……いいえ、アンジェリカから《天使の銃》を持ってきてくれてさえいれば、こんなことにはならずに済んだのに! アンジェリカの命も助かったかも――」 「私の命がどうしたの、メアリー?」 ミジィの叫びを遮って突如響いた、嘲るようなアルトの声。 瞬間、ミジィの青い瞳が限界いっぱいまで見開かれた。 セルヒオの存在など完全に忘れて、声のした方向へ体ごと振り向く。 「ア、アンジェリカ!?」 工場跡の瓦礫の中、地面にほぼ垂直に突き立っている鉄骨の陰からゆらりと現れた人影。夜の闇にあってなおくっきりと見える、流れるような長いブロンドと真紅のジャケット、突き刺すような光を放つターコイズブルーの瞳――病院から消えたはずのエンジェルが、唇の端に笑みを浮かべて、両手に持っていた長細い棒状のものを腰溜めに構える。 「何年ぶりかしらねメアリー――つまらないものだけど、私たち姉妹の再会を祝して」 「――!!」 エンジェルの手に握られた物の正体に気づいたミジィが、白い喉から悲鳴を迸らせるより早く。 全長1.2メートルの大型セミオートマチックショットガン、ベネリM3スーパー90の銃口が、オレンジ色の巨大なマズルフラッシュを噴き上げた。 続
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