■堕ちた天使の舞う夜に:長良川広久さん作第2章 絶対に私の邪魔をしないで【1】
衝撃的なエンジェルとの出会いから数日が過ぎていた。
あの闇オークション会場での事件以来、エンジェルと〈天使の銃〉に関連する調査は全くといっていいほど進んでいない。セルヒオも北斗も、ギルドメンバーとしての調査活動は表の仕事の合間にしかできないため、学生やフリーターのメンバーと比べるとどうしても時間が取りにくいからだ。『ロングワインディングロード』の顧客である他のシューター系メンバーからも、有力な情報は入ってきていない。 その日もまた、セルヒオが仕事を終えて自宅マンションに戻ったのは夜の8時を過ぎた頃だった。 セルヒオの表の仕事は、とある駐日メキシコ政府要人のシークレットサービスである。 メキシコは中米諸国の中でも政治的に安定している部類に入るが、それでも政府高官には暗殺や脅迫の危険がどうしても付きまとう。それ故に政府要人が公費でSSを雇うことも少なくない。セルヒオはそうしたSSの1人として、メキシコシティ警察の特殊部隊から引き抜かれて来日した。 彼の仕事のスケジュールは、自動的に警護対象である要人のそれに合わせられてしまうため、時間は不規則。重要な会議があれば、深夜にまで及ぶこともある。警護中は常に神経を張り詰めさせていなければならないため、体力的・精神的な消耗も激しい。 セルヒオはその少ない余暇の時間をさらに削って、裏の仕事、すなわちギルドメンバーとしての戦いをこなし続けている。毎日銃器の状態を確かめ、納得できるまで手を入れるのもその仕事のうちだ。 黒のスーツを丁寧にクローゼットにしまい、手早くシャワーを浴びる。ベッドの下の引き出しから厚手の布に包まれた拳銃を数丁、クローゼットの奥からはショットガンやライフルを無造作に取り出すと、ブラックコーヒーを傍らに黙々と銃器の手入れを始めた。 真っ先に手入れを始めたのは、エンジェルを救出した際にも使っていた愛銃、ベレッタM92F。 オートマチック拳銃は、少しの知識と経験があれば簡単にスライドを取り外してバラバラの部品に分解できる。セルヒオは一切手を止めることなく、流れるような手つきでストリッピング(分解調整)の手順をこなしていく。 この銃は米陸軍の制式拳銃であるため、ギルドの構築している流通ルート――米軍基地内の協力者による横流しルート――から簡単に手に入る上、弾数・命中精度・ストッピングパワーのバランスがよく使いやすいため、セルヒオはギルドメンバーになった当初からこの銃を使い続けている。 大型の魔獣や強力な魔法生物などに対しては、9ミリパラベラム弾ではいささか威力不足の感は否めないものの、先日の事件でも実証したように、軽武装の人間相手ならばこれ一丁で十分対応できる。 銃身の内側と部品類を丁寧にクリーニングし、スライドなどの作動部分に潤滑剤をスプレーして元通りに組み上げたところで、不意にサイドテーブル上の携帯電話が鳴った。 セルヒオの電話番号を知っている者は極めて少ない。警護対象である要人の関係者、メキシコシティに暮らす家族、そして――。 携帯のディスプレイに表示された名前を確かめたセルヒオの眉が、ほんの少しピクリと上がった。そのまま耳に当てる。 「セルヒオだ」 「やあ、こんばんはセルヒオ。突然電話してすまないな」 電話の向こうから聞こえてくるのは、落ち着いた若い男性の声。日本語だった。 セルヒオに日本語で電話をかけてくる男性は、ただ一人――同じ〈天使の銃〉を追う大守北斗しかいない。 「何かあったのか」 「ああ。表の仕事の方で、無視できない情報が入ってきたんだ」 いつものように平板な調子で問うセルヒオ。対する北斗の声は、緊迫の色を隠せないものだった。 「例の闇オークションを開いたアメリカ系の組織、あれが管理するヤクの物流拠点になってた港の倉庫が、何者かに襲撃されたらしい。 中にいたマフィア構成員は3人が死亡、10人近くが重傷だそうだ。所轄外の場所だから直接見に行くことはできなかったが、床にはそこらじゅうに空薬莢と血だまりが散らばって、相当ひどい有様だったって聞いてる」 セルヒオの脳裏に、数日前の凄惨な光景がまざまざと甦る。手榴弾に全身を切り裂かれ血の海に横たわるマフィアの群れ、そしてそれをこともなげに「ついで」と言い捨てたエンジェルの暗い眼光。 「薬莢の鑑定は? 発射された銃は判明しているのか?」 「もう済んでる。拳銃弾は2種類。マフィアご愛用の安物の弾と、東京じゃ滅多にお目にかかれない40S&W弾だ。 しかもライフリングから、発射した銃はジェリコ941と断定された。マフィアなんかが持ってる代物じゃない」 「ベビー・イーグル……やはりエンジェルの仕業か。ところで今『拳銃弾は』と言ったが、拳銃弾以外にも薬莢があったのか?」 「そうだ。被害者(ガイシャ)のうち死亡の3人は、ショットガンの散弾をもろに叩き込まれて身体がズタズタになった遺体で発見されてるんだ。 これだけの大量殺傷事件となると、ニュースとしてはしばらく発表できないかもしれない。裏社会の抗争として片付けるには、世間に与える衝撃が大きすぎるし……」 「それにエンジェルの人相を表立って手配すれば、〈天使の銃〉とギルドの存在が明るみに出てしまう恐れがある」 「そういうことだ。とはいえ、今のところ、捜査本部もエンジェルと〈天使の銃〉のことまで掴んでないようだけどな。マフィアの方も警察には言っていないんだろう。自分たちで落とし前を付ける気なんじゃないか。 なんにせよ、これ以上の凶行を止め、彼女と〈天使の銃〉を押さえるには、俺たちギルドメンバーでなんとかするしかない。マフィア連中も不穏な動きを見せてきているようだし、警察の捜査もますます大掛かりになってきている。これからますます非合法(イリーガル)な動きはし辛くなるだろうな。 でだ。こんな時間から悪いが、出てこられるか? 例の組織はまだ都内にいくつか拠点を持ってる。エンジェルが現れる可能性は高いだろ? 『ロングワインディングロード』に集まる他のメンバーにも手分けして当たってもらうつもりだ。俺たちも拠点のひとつへ向かおう」 「分かった。場所は……ああ、そこなら知っている。30分後に」 電話を切ると同時に、セルヒオの無機的な表情がかすかに変化し、唇がグッと引き結ばれた。今まで感情の波ひとつ見られなかった黒い瞳に、意志のエネルギーが宿る。 テキパキと銃を片付け、黒のデニムパンツと本革のライダースジャケットを着込む。ジャケットの下にはもちろん、ベレッタを収めたショルダーホルスター。 頑丈なコバルトブルーのヘルメットを片手に部屋を飛び出したセルヒオは、エレベーターを待つのももどかしいとばかり階段を一気に駆け下りると、唯一の趣味とも言える愛車、750ccのバイクに飛び乗った。 北斗が待ち合わせに指定したのは、JR某駅の出口という非常にわかりやすい場所だった。夜道を飛ばして20分で到着したセルヒオは、適当な場所にバイクを止めて北斗の姿を探す。 ほどなくしてその姿を認めたセルヒオだったが、駆け寄ろうとして、一瞬足が止まった。 北斗は一人ではなかった。スーツ姿の小柄な女性と、何やら会話を交わしている。 エンジェルほどの長さはないものの、細くしなやかなセミロングの金髪。夜目に映える白磁のような肌。スーツやセカンドバッグは特に目立つところもないごく普通のものだが、それを着ているのは遠目にもわかる美女だった。胸元に提げた小さなロザリオが、その雰囲気に神秘性を加えている。 よく見知っているその女性の姿に、つい近づくことを躊躇してしまうセルヒオ。 立ち止まったのは2秒足らずのわずかな時間だったが、その間に北斗たちの方がセルヒオに気づいた。2人並んで歩み寄ってくる。 「やあ、早かったな。こっちへ……ん、どうしたセルヒオ?」 「セルヒオですって? 北斗さん、待ち合わせているギルドメンバーというのは……?」 小柄な白人女性が話す言葉は、とても流暢な日本語だった。日本人が聞いても、声だけでは外国人が話しているものとはまずわからないほど達者な話し方だ。もし違和感を覚えるとすれば、逆に今時日本人でも使わないような丁寧な言葉遣いにだろう。 頭一つ分ほども高いセルヒオの長身を、北斗の横で見上げる女性。顔つきや声の調子から判断するに、20代後半から30歳程度という印象だ。若々しさよりは、成熟した大人の余裕や風格といったものを感じさせる、落ち着いた立ち居振る舞い。 しかし、つい今しがたまで穏やかに微笑んでいたその表情からスッと笑みが消え、透き通るようなアイスブルーの瞳にはわずかに警戒するような色が混じる。 「ここしばらくあなたとは会っていませんでしたが……久しぶりですわね、セルヒオ」 「シスター・エレーヌ……なぜあなたが北斗と一緒にいる? 俺たちの追っている事件とは関係ないと思っていたが」 小柄な女性を、セルヒオはいつもの無感情な瞳でじっと見下ろす。その心の内にどのような感情が生まれているのか、外から見た限りではうかがい知ることはできない。 女性の名は、エレーヌ・ケルブラン。表の仕事はインターナショナルスクール教師。そして裏では「シスター」の通り名を持ち、多数の攻撃魔法および精霊召喚魔法を自在に操るベテランのギルドメンバーだ。 そう、魔法――北斗がギルドメンバーとなったときにまず驚いたのが、魔法や超能力といった「物理法則を超越した力」の存在だった。 昔からかなり鋭敏な霊視体質で、いろいろと見ないほうがいいモノまで見えてしまう人間だった北斗だが、そうしたモノを打ち払う方法まで考えたことはなかった。 ギルドに入って初めて、現代科学とは全く異なる進化を遂げてきた技術――古来より脈々と伝えられる魔法や、人間の眠れる脳領域に秘められた超能力の存在を知ったのだ。 もっとも、同時期に別のギルドに入った姪っ子が魔法を学び始めたため、それもすぐに身近なものになったが。 セルヒオとエレーヌは、互いにそれ以上言葉を交わさないまま、相手の瞳の中を探り合っている。 両者の間に走る妙な緊迫感に、ひとり蚊帳の外の北斗は困ったような表情を浮かべた。 「あの、エレーヌさん? お知り会いなんですか、セルヒオと?」 「ええ、まあ……。北斗さん、それにセルヒオも、どこか落ち着けるところで話しませんか? こんなに人目があるところで、ギルドの事件の話はしにくいですし」 「俺は話をしに来たわけではない。北斗と共に事件の調査に出るところだ。先を急ぐ」 ぶっきらぼうに答えて背を向けようとするセルヒオの肩に、北斗があわてて手をかける。 「まあ待てよ。急いで行ったところでエンジェルが現れる確証があるわけでもないだろうし、エレーヌさんも何か参考になる話を知ってるかも知れないだろ」 「……」 無言のまま立ち止まったセルヒオは、以前とどこか様子の違う北斗に、違和感――というよりは、自分でもよくわからない不快感のようなものを感じていた。 北斗の変化の原因がエレーヌの存在にあるのか、それとも別な理由か。どちらにしても、自分はなるべくならエレーヌと同じ空間にはいたくないと感じているという自覚はあった。 彼女はあまりにも、セルヒオ・カレスを知りすぎているから。 だが、共に調査に当たるベき北斗がそう言っている以上、付き合わないわけにもいかない。これだけ死傷者が出ている事件を単独で調査するのはリスクが大きすぎると、これまでのセルヒオの経験は警告している。 「……わかった。あまり時間は取りたくないが」 「よし、じゃああそこでいいですか、エレーヌさん?」 北斗が指差したのは、ギルドメンバー御用達の24時間ファミリーレストラン『プリンキャッスル』だった。 「コーヒー」 「私は紅茶をお願いしますわ。ええ、ミルクで」 「じゃ、俺もミルクティーで」 まだ夜風が肌寒い外から、とりあえず屋内に避難してきた3人。北斗の隣にエレーヌが座り、セルヒオは北斗の前に席を取った。無意識のうちにエレーヌの正面を避けていることに気づき、セルヒオは自嘲気味に小さく息をつく。 「あら北斗さん、紅茶がお好きなのですか? 刑事さんはコーヒー派が多いと思っていたのですけれど」 「えっ? いや、ほら、署じゃコーヒーばっかりですから、たまにはと思って。……どうかしたか、セルヒオ?」 もちろん30過ぎの独身刑事が普段から紅茶など好んで飲むわけもない。エレーヌの嗜好に無理して合わせているのである。 しかし、隣に座るエレーヌとの会話に浮かれる暇もなく、北斗はセルヒオの鋭い眼光に見据えられた。 「そもそも、どうしてシスター・エレーヌがこの場にいる?」 「そう怖い顔するなよ。偶然だよ、偶然。ですよね、エレーヌさん?」 「ええ。私は私で、新しく依頼を受けて動いていたところですわ。そうしたら偶然北斗さんとお会いして、ちょっと立ち話を」 エレーヌの語り口からは、無理に弁解をしているという感じはしない。北斗があえて呼んだわけではなさそうだ。それを確認した上で、セルヒオはエレーヌに問いを向ける。 「……それで、受けた依頼というのは?」 「私の所属する『クレール・ドゥ・リュヌ』を含めた、複数の魔法系ギルドからの依頼ですわ。 最近になって急速に噂の広まっている、邪悪なマジックアイテム――〈悪魔の銃〉について調査し、もしこれが実在するのならば封印ないしは破壊すべし、という内容です」 北斗とセルヒオが、途端に真剣な表情になって顔を見合わせる。 自分たちが〈天使の銃〉を追っているときに、まるで対になるような名前を持つ〈悪魔の銃〉というものがまた別の噂となって裏の東京を駆け巡っている――ただの偶然だろうか。 「……それでエレーヌさん、その〈悪魔の銃〉っていうのは、どんなものなんです?」 「現物の写真や絵が残っているわけではありませんので、噂を元にした推測しかできませんが……際限のない死と殺戮を呼ぶ、文字通り悪魔の如き邪念を宿した銃だと言われていますわ」 「邪念を宿した? つまりそれは……その銃自体に意思があるってことですか?」 横からのぞき込む北斗に、エレーヌは憂いを帯びた瞳を向けて続ける。 「ええ……〈悪魔の銃〉は人の魂を喰らうことのみを望む銃であり、それを手にした者は精神を乗っ取られ、〈銃〉の命じるままに人の命を奪い、その魂を〈銃〉の贄として捧げるようになると……噂では、そう囁かれていますわ。 どこまで真実なのかは、調査に当たっている私たちにもわかりかねますが……」 「もしすべてが事実だとしたら、相当ヤバい代物ですよね、それ……どこかに手がかりみたいなものはないんですか?」 「残念ながら、噂ばかりが駆け巡っていて、信頼のおける情報というものはなかなか……」 3人が一様に難しい表情で考え込み、会話が途切れる。常日頃から無表情のセルヒオでさえ、わずかに眉根を寄せ、唇を引き結んでいた。 そこへ折よく、ウェイトレスがそれぞれの飲み物を持ってきた。熱いミルクティーで一息ついたところで、再びエレーヌが口を開く。 「ところで北斗さん、あなた方の受けた依頼というのは? よかったらお聞かせ願えませんか?」 「え、ええ、いいですよ。 俺たちが追っているのは〈天使の銃〉っていって、情報源は『ロングワインディングロード』っていうガンショップです。 なんでも、正義を貫く者に力を与える銃だとかいう触れ込みで、俺とセルヒオは現物をこの目で見てます。今日はこれから、その持ち主の現れそうなところに張り込んでみる予定なんです」 「……そうですか」 エレーヌのアイスブルーの瞳が北斗から離れ、セルヒオの漆黒の瞳をじっと捉える。 静かな、しかし逃げを許さないプレッシャーを込めた言葉を、エレーヌが投げかけた。 「――それでセルヒオ、あなたはその〈天使の銃〉とやらに近づいてどうしようというのです?」 セルヒオは答えない。顔色も全く変わらない。ただエレーヌの瞳を見つめ返しているだけだ。 無言を通そうとするセルヒオの態度にじれたエレーヌは、身を乗り出すようにしてさらにセルヒオを問い詰めた。 「正義を貫く者に力を与える銃だといいますが、ならばあなたの正義とは何なのです、セルヒオ? 私の追う〈悪魔の銃〉よりはまだ危険性は少ないようですが、そんな得体の知れない力を追い求めてどうすると? またあの頃のあなたに……ギルドメンバーからさえ疎まれ怖れられた『ファントム』になるつもりですか?」 ――ガチャン! 何の前触れもなく突然。 セルヒオが、手にしていたコーヒーカップを叩きつけるようにソーサーに置いた。 運良く割れこそしなかったものの、磁器のぶつかり合う甲高い音が店内中に響き、まばらに座っていた客の視線が一斉にセルヒオたちのテーブルへ向けられる。 だが、そんな視線には一切構わず、今までのポーカーフェイスが嘘のような激情を宿した目で、セルヒオはエレーヌを睨みつけていた。 その様子を見た北斗が、思わず身体を後ろに引いてしまったほどの、怒りとも憎しみともつかぬ強烈な感情が渦巻く瞳。 しかしエレーヌはひるむことなく、狂気とも思えるほど激しいセルヒオの眼光を真正面から受け止めていた。 怒りに吊り上がった目尻が元に戻るまでに、明らかに荒くなった呼吸を3回。 4回目に深呼吸をして、ようやく感情の激発を落ち着けたセルヒオは、一旦グッと目を閉じてコーヒーを一気に呷ると、今度は丁寧にソーサーの上にカップを戻して、言った。 「……その話はやめろ、シスター・エレーヌ。 俺が気にしているのは、〈天使の銃〉そのものではない。それをマフィアから強奪した女の目的だ。 ギルドメンバーでもないのに単身でマフィアの拠点に乗り込むなど、容易でない事情があるに違いない」 冷静さを取り戻したかのように装っているが、セルヒオの声にはまだ感情の揺らぎが細かな震えとなって残っている。口にした言葉も本意ではないであろうことを、エレーヌは一瞬で見抜いていた。 しかし、何もセルヒオを怒らせるために話をしているわけではない。 おとなしく引き下がったエレーヌは、静かにミルクティーを口に運ぶと、深い慈愛を感じさせる穏やかな微笑を浮かべた。 「わかりました。お手間を取らせましたわね、北斗さん、セルヒオ。私、そろそろ失礼しますわ。 お互いにこれといって有益な情報を持っているわけではなさそうですし、自分の仕事に集中することとしましょう」 「え、もう行っちゃうんですか?」 「話をしに来ているわけではないと言っただろう。俺たちもいつまでもこうしている場合ではあるまい」 明らかに残念そうな顔をした北斗に対して、セルヒオが仏頂面で釘を刺す。 「わかってるよ。それじゃエレーヌさん、くれぐれもお気をつけて。……その、偶然でもお会いできてよかったです」 「ありがとうございます、北斗さん。夜中はまだ肌寒いですから、暖かくして下さいね。それではまた」 にこりと微笑んで優雅に一礼するエレーヌ。その頬がかすかに赤く染まっていたことに、北斗は気がついていたかどうか。 『プリンキャッスル』の前で別れたエレーヌの細い背中を、ぽーっとした表情で見送っていた北斗は、刺のあるセルヒオの声でようやく我に返った。 「……仕事を忘れていないだろうな。行くぞ」 「え? あ、ちょっと待てって!」 続
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