■堕ちた天使の舞う夜に:長良川広久さん作第1章 天使は死の使いだから【3】
追いすがる黒服たちを撃退しながら、セルヒオたちは数十階分の階段を一目散に駆け下りる。
前方に散発的に現れる黒服はセルヒオが容赦なく排除し、執拗な黒服の追撃は北斗が追い払う。10階を過ぎたあたりで追撃の手はようやく止んだ。 しかし2階まで降りてきたところで、3人は否応なしに足を止めざるを得なくなった。 北斗が懸念した通り、ビルから外に出られる唯一のポイントである広い正面エントランスは、手に手に懐中電灯と拳銃を持ち殺気を撒き散らす黒服の溜まり場になっていた。 階段の踊り場から首を伸ばして見える範囲は限られているが、その範囲だけでも6〜7人。エントランスの広さを考えると、少なくとも20人は集まっているようだ。 相手がこれだけ多いと、セルヒオのサイレンサーもあまり意味がない。たとえ銃声が聞こえなくても、撃つ姿はどうしても誰かに見られてしまうだろう。 周囲全方向の物音に耳を澄ませながら、北斗とセルヒオがギリギリまで絞った声でやりとりを交わす。 「さてどうする、セルヒオ? 戻って2階から窓を破って飛び降りるか?」 「俺とお前は大丈夫でも、エンジェルはどうする。足を骨折でもされたら到底逃げ切れない」 「じゃあ正面突破か? それこそ俺と君は大丈夫でも、エンジェルの身の安全が保証できないだろう」 「拳銃だけではな。――できればこれは使いたくなかったが、やむを得まい」 セルヒオは右手にベレッタを握ったまま、左手でスーツの裏地を探り、なにやら細長い塊を取り出した。 「それ、何?」 2人の後ろで息を殺していたエンジェルの問いに、セルヒオは普段と全く変わらない平板な調子で答えた。 「スタングレネードだ。これで敵を無力化し、その間にエントランスを突破する」 「なっ、何だって!? ……なんでそんなもの持ち歩いてるんだ!?」 その答えに目を剥いたのは、エンジェルではなく北斗だった。 スタングレネード(閃光手榴弾)とは、爆発により破片が飛び散る通常の手榴弾とは異なり、発火の瞬間に強烈な閃光と爆音とを発して攻撃対象の視覚・聴覚を麻痺させる特殊な手榴弾だ。殺傷力ゼロで対象を無力化できるため、相手を殺すことが目的の軍隊ではなく、取り押さえて法の裁きを与えることを目的とする警察が使用する。日本も含め、先進国の警察特殊部隊のほとんどに配備されているものだ。 だが警察官である北斗は、スタングレネードが拳銃よりもずっと使用頻度の少ない特殊な武装であることを知っている。特殊部隊に常備されているものとはいえ、実際に使用されるのはバスジャックなどの立てこもり事件で強行突入をかける場合くらいのものだ。 北斗はまだギルドメンバーになって日が浅いが、彼がこれまで出会ったメンバーの中には、そんな目立つものを仕事に用いる者など1人としていなかった。ギルドの存在は一般社会には伏せられているため、基本的に仕事は素早く隠密裏に片付けるというのがメンバーの共通認識となっているからだ。 ――なっているはずだったのだが。 どうも目の前のメキシカンには、そんな共通認識はないらしい。北斗は内心でため息をついた。 「俺が投げたら、すぐに目をつぶって耳をしっかりと塞げ。いいな」 これまでの常識を引っくり返されて憮然としている北斗を尻目に、セルヒオは投擲の体勢に入った。 起爆までの時間を計算し、床に落ちてすぐ爆発するようタイミングを計って、大きく放り投げる。 薄闇の中へ投げ込まれ、放物線を描いてエントランスへ落ちて行く、3つのかたまり。 ――セルヒオと北斗が、弾かれたようにエンジェルを振り返った。 「何を投げた、エンジェル!」 セルヒオが投げたスタングレネードは1個。北斗はもともと手榴弾の類など持ち歩かない。ではあとの2個は? だが、問い詰めている時間はなかった。カカカンッと、投げられたものが硬い床で跳ねる音。エントランスに詰めていたマフィアたちの視線が音のした地点に集中し、何人かがそこに近づく。 「ちっ!」 舌打ちしたセルヒオが壁の向こう側に身を隠し、耳をしっかりと塞いで目をつぶったのとほぼ同時に。 ドバァァゥンッッ!! すさまじい爆音と、瞬間的に押しのけられた空気が生み出す爆圧の衝撃とが、セルヒオたちの体を強烈に揺さぶった。 「くはッ……、行くぞ!」 腹の底にまだ大気の振動が残るような感触をこらえ、まずセルヒオが踊り場を出て階段を駆け下りる。 が――そこに広がる光景には、さしものセルヒオも唇をゆがめずにはいられなかった。 入り口の自動ドアのガラスが粉々に砕け、外から夜風が少し吹き込んできている。だが、その程度の風では到底拭い去れないほどに、濃厚な火薬の匂いと……生々しい血の匂いが充満していた。 エントランス内のマフィアは全員倒れ伏し、か細い苦痛のうめき声がいくつも重なっていた。顔といわず身体といわず細かな金属片が無数に食い込み、ズタズタに切り裂かれたスーツとワイシャツは鮮血に染まっている。中には手の指を数本吹き飛ばされ、吐き気がするような悲惨な傷口からなおも真っ赤な血をしたたらせている者もいた。 ざっと見て半分は意識不明、残る半分もとても銃を握れるような状態ではない。 エンジェルが投げた2個は、スタングレネードではなく、強力な殺傷能力を持つ軍用の手榴弾だったのだ。 「なんてこった……これはひどいな」 エンジェルを背中に守りながら、油断のない足取りで階段を下りてきた北斗も、酸鼻を極めるエントランスの光景を目にして言葉を失っていた。眼鏡の奥で、もともと細い目元がさらに険しく引き絞られる。 「エンジェル! 何の真似だ!」 階段の下から見上げるセルヒオの鋭い視線を、エンジェルは階段の途中で悪びれもせず受け止めた。 「ついでよ、ついで。こんな危険な所に忍び込んで〈天使の銃〉を盗み出した私が、それをただコレクションとして眺めてるだけだとでも思ってるの?」 「どういう意味だ?」 視線を据えたままさらに問うセルヒオ。だがエンジェルはその視線を受け流すと、北斗の前に出て足早に階段を下りた。そのまま出口へと向かう――足元に広がる凄惨な光景など、全く気にも留めずに。 「……あんたたちに話しても仕方のないことよ。巻き込んですまなかったわね、さよなら」 セルヒオの目の前を横切り、外へ出ようとするエンジェルの背中に、北斗が声をかける。 「待ってくれ、エンジェル。君はその〈天使の銃〉で、いったい何をするつもりなんだ?」 「私は――」 振り向いて口を開こうとしたエンジェルが、セルヒオたちの背中側にある何かを見た瞬間、ギラッと目を光らせた。 セルヒオや北斗にも引けを取らない早業で、ジャケットの下から拳銃を抜き出す。そして銃声。 直後に振り向いたセルヒオたちの目に入ったのは、壁に背をもたせかけて立ち上がろうとしていた黒服のひとりが、胸の中心やや左寄りに銃弾を受けてズルズルと崩れ落ちていく姿だった。 黒服の手には銃が……握られていない。足元の床に転がっている。撃たれて取り落としたのではない。 もはや戦意もなく、ただ逃げるために立ち上がっただけの黒服に対して、エンジェルは発砲したのだ。 倒れ込み動かなくなった黒服を、憎悪に満ちたすさまじい眼光で見据えながら、エンジェルはまだ構えを解こうとしなかった。 その両手がしっかりと握っているのは、イスラエルのIMI社製オートマチック、ジェリコ941。 オートマチック最強の破壊力を誇るデザート・イーグルと同じ会社によって開発されたため、ベビー・イーグルの通称で呼ばれることも多い。 銃身の大半が装飾を排した平面で構成され、外見は質素かつスリムなイメージだが、その見た目に反し、40S&W弾を使用した場合の威力はセルヒオのベレッタや北斗のグロックを上回る。 怒りに食いしばった歯の隙間から少し息を吐き出すと、エンジェルはようやく全身の緊張を解き、左脇腹のホルスターに銃を戻した。磨きぬかれたトルコストーンのような瞳にどこか影のある光を宿して、北斗を見やる。 「……私は、私の為すべきことをする。〈天使の銃〉は、そのための力よ」 そう呟いたエンジェルを、北斗はやりきれない表情で見つめる。 「君がこのマフィアにどんな恨みを抱いてるのか知らないけど、こんな血みどろの殺戮が、銃を手に取ることすらできないケガ人まで殺すことが、君の為すべきことだとでも? それに〈天使の銃〉は『正義を貫く力を持ち主に与える銃』だと聞いている。この光景を『正義』だと思う人がいるかどうか、はなはだ疑問だね」 「あんたがどこでその話を聞いたか知らないけど、それは違うわ」 エンジェルは、自嘲のこもった小さな笑みを浮かべて首を振った。 そして、ベビー・イーグルをしまったのとは逆側、右脇腹のショルダーホルスターから、ゆっくりとした動作で銃を抜き出す。 「――!」 セルヒオと北斗の視線が、エンジェルの手元に集中する。 黒灰色のロングバレルに、鳥の翼と女性の顔を模したレリーフ――彼女の白く細い手に握られているのはまぎれもなく、あのカタログに載っていた〈天使の銃〉そのものだった。 トリガーに指をかけない状態で〈天使の銃〉を左手に持ちながら、エンジェルはその瞳に静かな炎を燃やして言う。 「この〈天使の銃〉っていう名前、どういう意味を込めてつけられたと思う? もちろん、天使は死の使いだからに決まっているわ。 肉体を離れた魂を天国へと導き、あるいは地獄へと叩き落とす、死の使いだから」 「それはいったいどういう……」 さらに問いただそうとした北斗の声を遮ったのは、かすかに聞こえてきた救急車とパトカーのサイレンの音だった。 セルヒオたちがサイレンに気を取られた一瞬の隙に、エンジェルは素早くビルを飛び出し、真夜中の街へと姿を消した。 「明日のワイドショーの主役になりたくなかったら、俺たちも早く逃げた方がいい。ビルの1階で手榴弾が爆発して死傷者多数とあっちゃ、いくらギルドが隠そうとしても無理な話だ」 「……〈天使の銃〉を追いたいところだが、やむを得んな。表の警察に目をつけられるのはまずい」 「しかも現場に居合わせた重要参考人が現役の刑事だなんて、ぞっとしないからな」 肩をすくめる北斗と、またいつもの無表情に戻ったセルヒオ。うなずきあった2人は、拳銃をしまってそれぞれ別々の方向へ走り出す。たちまちその姿は闇にまぎれて見えなくなった。 翌日のニュースは一日中「都内でマフィアの大規模抗争か 30人以上死傷」というセンセーショナルな報道で埋まった。 続
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