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■堕ちた天使の舞う夜に:長良川広久さん作

第1章 天使は死の使いだから

【2】

 鼓膜がその特徴的な響きを捉えた瞬間、ギルドメンバーとして数々の依頼を解決してきたセルヒオの身体は、反射的に行動を起こしていた。
 ホルスターからベレッタを抜き放ち、安全装置を解除。先端にサイレンサーをセットしながら、銃声の響いてきた方向――パーティ会場の方向へと走る。
 銃声から数秒の間を置いて、本来は火災のときに使われる非常ベルがけたたましく鳴り始めた。緊急事態発生の合図としてあらかじめ知らされていたものだ。
 その騒音に混じって、多数の人々の悲鳴と足音も聞こえてくる。何があったのかはわからないが、パーティ会場はかなりのパニックに陥っているらしい。
 そして、パニックの理由の一つはセルヒオにもすぐ理解できた――どこの通路も通常の照明がすべて消え、フロア全体がほとんど真っ暗になっているのだ。緑色の非常灯だけが、所々で薄ぼんやりとした光を投げかけている。
 あとひとつ角を曲がればパーティ会場が見えてくるというところで、会場から出てきた黒服の一団と出くわした。全員が手に手に黒光りする拳銃を手にしており、明らかに殺気立っている。
 リーダー格とおぼしき白人の男が、スラング丸出しの乱暴な英語でセルヒオに尋ねた。
「おいお前、金髪のファッキン・ビッチがこっちに逃げてこなかったか!?」
「いや、ここに来るまで誰とも遭遇していない」
「ならお前も探せ! 見つけ次第ブチ殺せ!!」
「会場で一体何があった?」
「お前は知らなくていい、とっとと探せ! ゴチャゴチャぬかしてるとお前の頭もミンチにするぞヒスパニック野郎!!」
 まさか相手が自分など足元にも及ばない戦闘の熟練者だとも知らず、白人の男は無表情のセルヒオにわめき立てる。返事をしないセルヒオには構わず、手下を二手に分けると一方の集団を率いて廊下をドカドカと走っていった。
 その様子を冷え切った目で見送ったセルヒオは、フンと小さく鼻を鳴らすと、黒服たちが走って行った方向とは反対に走った。
 騒音を撒き散らしていた非常ベルはようやく止まったものの、非常照明だけの薄暗いパーティ会場では、いまだに参加者の避難が完了せず混乱が続いている。どさくさに紛れてその中へ入り込み、出品予定の品が並べられているはずの陳列ケースに目を走らせる。
 ――だが。
 それまでずっと無表情を崩さなかったセルヒオの顔に、このとき初めて動揺の色が浮かんだ。
 本来〈天使の銃〉が収まっているべき場所には、何も置かれていなかった。叩き割られたガラスの破片が大量に散らばっているだけだ。
 つまり、何者かが〈天使の銃〉を強奪し、現在逃走中ということになる。
 さっきの黒服の言葉からして、強奪犯人は金髪の女性ということらしい。
 黒服たちがあれだけ殺気立つのも当然だ。〈天使の銃〉はこの闇オークションの最大の目玉商品。それをみすみす奪われたとあっては、組織の面子は丸潰れ、裏社会での勢力も著しく衰えてしまうだろう。何としても〈天使の銃〉を奪い返さなければ、組織そのものの存亡にも関わるのだ。
 パーティの参加者に犯人がいるとは思えない以上、外部からの侵入者の仕業である可能性が高い。
 これだけの混乱状態なら、もうマフィアの言いなりに動く必要もない。〈天使の銃〉の姿を自分の目で確かめるには、強奪した犯人と直接コンタクトを取るしかない――そう判断したセルヒオは、会場内にそれらしき姿が見当たらないのを確認した上で、油断なく周囲に視線を走らせながら外に出た。
 すると、20メートルほど先の角で同じように周囲をうかがう、スーツ姿の男の姿が目に入った。
 その右手には、護身用というにはいささか大きいサイズの拳銃。
「――Freeze!」
 相手の男が叫んで拳銃を向けてくるより早く、セルヒオは身に染みついた反射運動で横っ飛びに通路の角へ飛び込んでいた。
 床を一回転して立ち上がり、ピタリと壁に背中をつけたところで、ようやく気づく。
 もしあの男がマフィアの仲間なら、この状況でわざわざ「動くな!」などと警告してくるわけがない。最初から発砲するはずだ。
 となると、消去法で残る可能性は一つしかない。
 セルヒオは角からわずかに頭を出し、薄暗い通路の端を慎重な足取りで歩いてくる男を観察した。
 オークション主催者のマフィアはアメリカを本拠地とする麻薬組織だが、その男は東洋系、というより典型的な日本人顔だった。
 見苦しくない程度に短くまとめた黒い髪、どこか朴訥としたような印象を与える特徴のない眼鏡。
 しかしその足取りや身のこなし、拳銃の狙点を定める手つきは、素人に毛が生えたようなマフィア連中のものとは明らかに一線を画している。十分な戦闘訓練を受けた、プロの動きだ。
 セルヒオは角に身を隠したまま英語で呼びかけようとするが、その前に相手の男が日本語で呼びかけてきた。
「そこの君! 君もギルドメンバーなのか?」
 推測は正しかった。セルヒオは銃口を下に向け、身を隠した角からゆっくりと出て、男の前に姿をさらす。
 マフィアでも強奪犯人でもないとすれば、自分と同様、〈天使の銃〉の噂を聞いて潜入したギルドメンバーに違いない。ましてや、君「も」ギルドメンバーなのかと呼びかけてきたのだから、これは確実だ。
「ギルドメンバー、セルヒオ・カレスだ。お前もギルドメンバーのようだな」
 無表情のまま問いを返すセルヒオに、日本人の男は当たり障りのない笑みを見せながらうなずいた。
「まあね。俺は大守北斗(おおもり・ほくと)。よろしく」
 銃声の残響音がひっきりなしに聞こえる廊下で名乗りあった二人の男は、小走りに通路を移動し始めた。
 さっきの黒服の言葉にあった「金髪の女」が現れないか周囲に目を走らせつつ、セルヒオが尋ねる。
「警察の人間か?」
「ああ、表の仕事は私服刑事だ。よくわかったな」
「自衛隊上がりや元殺し屋という類の人間だったら、声で警告などしない。まず威嚇射撃から入るか、それすらも省く」
 角に差しかかると一瞬足を止め、通路の先の気配をうかがう。そしてまた走る。
「そういえば、お前は何故俺がギルドメンバーだと?」
「俺が声をかけたとき、君は銃を向けるより身を隠すことを優先しただろ? それもあれだけの反応の早さで。
 何度も危機を切り抜けてきた人間特有の反射的行動だ。素人に毛が生えた程度のマフィア連中じゃあんな動きはできないさ。
 それともう一つ、マフィアは拳銃にサイレンサーをつけるようなデリカシーは持ち合わせてない」
「なるほど」
 長いサイレンサーがついて不恰好になった自分のベレッタを握り直しつつ、セルヒオはさりげなく北斗の手にする拳銃を見定めた。
 刑事と名乗ったが、日本警察制式拳銃のSIG/ザウエルP230JPよりも一回り以上大きい。光沢のない黒一色のポリマーフレーム、角張ったスライド、少し幅広気味の特徴的なグリップ――80年代後半から90年代初頭にかけて大ヒットした名銃、グロック17だ。
「君も〈天使の銃〉を探しているのか?」
「そうだ。今はそれを強奪したらしい金髪の女を探している」
 二人がそんな会話を交わしている間に、先程から断続的に響いている銃声はどんどん近く、大きくなりつつある。
「――そろそろか」
 十字路の手前で足を止め、不意につぶやいたセルヒオの目の前で、横方向から飛んできた跳弾が壁に当たって火花を散らした。
「まずは、その金髪の女性とやらを確保しないとな」
 北斗は素早く通路の左端へ寄り、壁に背をつけて十字路の様子をうかがう。セルヒオは右端についた。
 彼らは無言の意思疎通で、銃声の聞こえてくる方向へ向かっていたのだった。何故なら、目的の人物はそこにいるはずだから。
 はたして、右方向から複数の拳銃の乱射音が聞こえてくると同時に、一人の女が角を曲がってセルヒオたちのいる側に飛び込んできた。
 背の高い白人女性だ。まっすぐに立てば身長は北斗とほとんど変わらないだろう。
 身体にフィットした黒革のジャンプスーツとロングブーツ、少し埃じみた厚手のフライトジャケットというラフな服装は、お世辞にもパーティ参加者のそれとは程遠い。トルコストーンを思わせる切れ長の青い瞳やスラッと通った鼻筋、肩にかかる長いストレートの金髪など、ちゃんと化粧をして着飾ればかなりの美人になりそうだが、今はそのブロンドを幾筋も額に張りつかせ、今にも倒れ込みそうなほど息を乱している。
 北斗のすぐそばの壁に片手をつき、必死に息を整えながら、なんとか顔を上げて二人に声をかけた。
「あ、あんたたち、あの連中の仲間じゃないわね……お願い、助けて……!」
 女の話す言葉はネイティブの英語だった。疲労のにじむ青い瞳に切羽詰まった焦りを浮かべ、セルヒオと北斗を見つめる。
「君だな、〈天使の銃〉を――」
「助けて! あいつら、そこまで来てる!」
 金髪の女は北斗の問いを遮り、自分が走ってきた通路を指差す。
 銃声の残響が消えた右手の通路から、バタバタと走る多数の足音が聞こえてきていた。
「セルヒオだったか、この状況どうする? この女性(ひと)と一緒にいたら、絶対俺たちも撃たれるよな」
「分かりきったことを一々確認するな」
 北斗に顔を向けもせず無機的に答えたときには、既にセルヒオは膝射姿勢でベレッタを通路の奥に向けていた。
 何も考えず通路の真ん中を固まって走ってくる黒服集団。先頭の男との距離は約30メートル。素人同然のマフィアが安物の拳銃で狙っても、そうそう当たる距離ではない――が、戦闘経験豊富なギルドメンバーにとっては、さほど難しい状況でもない。
 パムパムパムッとおもちゃのような小さな音を立てて、立て続けにベレッタのサイレンサーが跳ねる。すると黒服集団のうち3人が、悲鳴を上げて前のめりにその場へ倒れ込んだ。非常灯の薄明かりではどこに着弾したかは確認できないが、残った連中は突然の反撃に混乱をきたし、泡を食って手近な横道に身を隠す。
 セルヒオが再び角に身を隠した直後、無数のけたたましい銃声と目標を失った銃弾とが通路を駆け抜けた。
 人数こそ多いものの、撃ち方が全くでたらめだ。相手が完全に隠れているにも関わらず無闇やたらに撃つのは、無駄に弾を消費するだけでなく、マズルフラッシュで自分の位置を相手に教えてしまうことになる。
 一斉射撃の後、恐る恐る身を乗り出した黒服のうち2人が、逆に北斗のグロックで肩や太腿を撃ち抜かれて昏倒した。
 素早く角に戻って反撃をやり過ごしながら、北斗が金髪の女を振り返る。紋切り型の日本語なまりがやや残る英語がその唇から流れた。
「拳銃一丁でマフィアすべてを相手にするわけにはいかないな。早いとこ逃げよう」
「同感だ。弾が切れる前にビルを脱出したい」
「エレベーターは動かないわよ……照明を落とすために、電源系統に細工してきたから」
「つまり階段しかないわけだ。俺がマフィアなら、下手に手勢を分散させるより、1階の正面エントランスで待ち構えるね」
 そう言いながらグロックを散発的に撃って牽制する北斗。不用意に突っ込もうとした黒服の一人が、脇腹をえぐられて七転八倒する。
 一方セルヒオは、北斗が押さえている以外の方向から新手が来ないかと油断なく視線を飛ばしながら、エンジェルに言った。
「素人の集団などどうとでもなる。もう走れるな?」
「え、ええ、なんとか……」
「すぐに階段へ向かうぞ。前衛はこの男が、後衛は俺が務める」
 セルヒオの言葉に反応し、北斗が牽制をやめて立ち上がる。金髪の女の手を取って立ち上がらせ、階段へ向かうよう促した。
「じゃ、行こうか。ええと、なんて呼んだらいい?」
「そうね……エンジェルとでも」
 本名でないのは明らかだ。が、偽名を名乗る事情を詳しく尋ねていられる状況ではない。
「エンジェル、君は身を守ることを第一に考えてくれ。戦闘は俺たちに任せて。――GO!」
 決然と言った北斗の声を合図に、3人はその十字路を離れて階段へと走った。

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