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■Report-32 伝説の味

「……あれ?」
 刑事部屋に入り、大守北斗は自分のデスクにカバンを置いて周囲に目を向けた。捜査係は一係につきだいたい15人前後だ。だが、現在北斗の周りには半数もいない。それぞれの担当事件で出ているとしても、なんか少ないような気がする。
 もしかして、出動に置いてけぼりを食ったかと焦ったりもしたが、係長の野瀬警部は渋い顔をして席についていたし、北斗とペアを組んでいる藤堂日向は、まだ北斗に気付いてないのか彼女の席で書類に向かっている。
「おす」
 軽く手を上げて、隣の席の黒スーツもとい尾崎巡査部長が北斗に声をかける。
「皆は? なんか人が少ないような気がするんだけど」
 状況が全く見えないという北斗に、尾崎は彼のトレードマークである皮肉っぽい笑みを口の端に浮かべると肩をすくめた。
「どうやら、やっかいな風邪が流行っているようだな」
「風邪?」
 屈強な男どもがそろって休んでしまう程の風邪とはいったいどのようなものだろう。
「おはようございます、先輩」
 北斗の存在に気付いた日向がすかさずやってきた。
「おはよう。なんだか風邪が流行ってるんだってね」
「みたいですね。皆、不摂生なんだから」
 困った人たちですよねと、日向は笑う。
「で、先輩。一昨日クッキー焼いたんですよ。先輩にも食べてもらおうと思って、残しておいたんです。自分で言うのもなんですけど、なかなかの出来だと思うんです」
 そういって日向が手にしていたケースを開けた。そして、さあ食べろと言わんばかりに笑顔で北斗の真正面にそれを差し出す。
 ああ来たか。北斗は思った。ここ最近はおとなしかったが、日向恒例の実験料理だ。北斗が警視庁捜査一課に移動になり、直面した現実である。現在の同僚からは、よく慰められる。どうやら皆、日向の料理にはそれなりに思うところはあったらしい。
 ため息混じりにケースの中を見た。中に入っているクッキーの色は極普通のものだった。お馴染みのド紫色はしていない。
「……茄子は使ってないんだ?」
 恐る恐る一つを口にした。茄子料理に対しては、どの程度の量なら大丈夫なのかは身体で覚えている。クッキー一つぐらいなら、少々凶悪な作りでも味はともかくちょっと気分が悪くなったかな程度で済むはずだ。
「茄子料理はもう極めましたから、そろそろ卒業かなって。新作はマンドラゴラを混ぜてみたんですよ」
 思わずクッキーを吹き出した。
「うわ、先輩酷ッ」
「ちょちょちょちょっと日向ちゃんッ」
 吹き出したクッキーを慌てて掃除すると、北斗は日向の腕を取って廊下へと飛び出した。
「マンドラゴラって毒物だろうが!」
 マンドラゴラとはナス科の植物で、インド、中近東、中南米が原産の毒性植物だ。毒性は強く、アルカロイドのヒヨスチアミンやスコポラミンを多く含んでいる。中世のヨーロッパでは麻酔薬として用いられていたが、近年では殺人事件に使われたり、花を食して中毒になるなどの事件も多い。
「やだな〜。そのマンドラゴラじゃないですって。月岡君の新作、噛み付き茄子の親戚みたいなもので、二足歩行の可愛いやつです♪ どっちかっていうと、伝説上のマンドラゴラに近いですね」
 北斗は耳を疑った。
「抜くときにえらい声がでかいもんだから、近所迷惑にならないように月岡くんが無音結界を張ってですね、こうぐいっと引き抜くんです」
 わざわざ引き抜く仕草を混ぜながら日向が語る。
「叫び声以外は噛み付いたりしないし人畜無害ですから、安心してください♪」
 いや、それ絶対ウソだろ。というか、食物として考えなけりゃ人畜無害かもしれんが、伝説上のマンドラゴラだって、それなりに物騒な植物だったはずだ。そうじゃなくてもあの噛み付き茄子の親戚だぞ。
 そこで、北斗ははたと気が付いた。
「――日向ちゃん、クッキー焼いたの一昨日だって?」
 先輩にも、と彼女は言っていた。
「先輩に味見してもらおうと思って持ってきてたんですけど、先輩、昨日非番だったでしょ。だから、他の皆に食べてもらったんですけど、ちょっとスパイシーなところとか評判良かったんですよ♪」
「もしかして、豊田、鈴木、川崎さん、あと本田さん他数名か、食べたの?」
「そうですよ。なんで判ったんですか?」
 ――全員、今日休んでるじゃん……。
 以前噛み付き茄子のケーキが鑑識に回されたことがあったが、特に何も検出されていない。きっと、今回も同じだろう。厄介な風邪と言われているが、特製マンドラゴラ入りクッキーを食べた人たちに、一体どんな症状が出ているのやら。
 北斗は深く深くため息をついた。
-終-

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