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■Report-24 バレンタインデーは死の予感

「東京駅まで送ってくよ。中央線だろ? 終電は大丈夫?」
「行けるところまで行って、あとは月岡くんに迎えにきてもらいますから平気です」
 そこで、先に助手席に入り込んだ日向が、運転席のドアを開けた北斗に声をかけた。
「そうそう。先輩、夜食いります?」
「夜食?」
「ええ。案の定バレンタインデーのデートがお流れになった先輩の為に用意しておいたんですけど」
 いつの間に車に積んだのか、後部シートに置かれていたトートバッグから「じゃーん」と声に出して日向が出してきたものは、チョコレートケーキだった。
 ――油断した。
 北斗は軽いめまいを覚えた。まさかこのタイミングで、前々から宣言されていたとはいえ、義理チョコケーキが出てくるとは予想していなかった。それだけに、心の準備というか覚悟が出来ていない。さすが日向だと言うべきか、はたまた予想し切れなかった己の修行が足りないと言うべきか。後部シートに置かれた不信物に気付かなかったのは、刑事としてあるまじき失態だともいえる。これではうっかり爆弾を仕掛けられても判らないと同然だ。
「チョコ茄子ケ−キG(グレイト)です。今回はフルーツの代わりにドライ茄子が入ってて生地にもペースト状にした茄子を練りこんでいるんです。クリームはチョコと茄子を――」
 最早、北斗の耳には後半の説明は入っていなかった。というか、いつそんなものを作る時間があったというのだ。ちなみにここで言われている茄子は、茄子は茄子でも魔法生物『噛み付き茄子』である。
 噛み付き茄子とは、日向の夫である月岡雷が開発した鋭い歯を持ち手当たり次第に噛み付いてくる凶暴凶悪な性質の茄子の形をした生物である。味は普通の茄子と同じということだが、食物としてもなかなか侮れない毒素を有する。ただし、この毒素は魔法的なものらしく、科学分析では検出できない。また、過去の経験より、魔力を有する人間にはあまり効果が出ないものと推測される。つまり、普通の人間が食すものではないと、北斗は認識していた。
 そして、日向はその噛み茄子を調理することに喜びを見出しているようであった。
「そういう都合のイイ事いって、それ、実験作だろ?」
「あ、先輩さすがですね! とりあえず一口食べてみて、感想聞かせて下さい。旦那様の分を作る時の参考にしたいので。勿論、実験作だからって手は抜いてませんよ。愛情バッチリ♪」
 その方が怖い。その前に、いつ旦那様の分を作る気だ。もう14日だぞ。
「前のケーキなんだけど、あれ、月岡さんは食べたの? なんともない?」
「月岡くん? 勿論ですよ」
 どうやら本当に月岡は平気らしい。酷い話だ。
 北斗は誕生日に日向に貰ったケーキを思い出した。食べた人間を冥土送りにするほどの破壊力を持ったケーキだ。食べたのは同僚の佐々野だったが、彼曰く、確か味は食べ物として食えるもんだったハズだ。問題はブツそのものだったが、佐々野みたいにホール丸々一つ食わなければ――少量ならばきっと大丈夫だろう。たぶん。
 日向の期待に満ちた視線を感じながら、意を決して、一口を口に含んだ。
「…………チョコレートの味がするな」
「当たり前ですよ。チョコレート使ってますもん」怪訝そうな顔で日向が呟く。
 チョコレートの味がナスの味を消していて、ちょっぴり風味の変なチョコケーキという感じだ。確かに、味は食べ物だといえなくも無い。
「味は、まあ……大丈夫だよ」
「本当ですか?」
 輝かんばかりの笑顔を見せる日向に、正直なところ北斗は安堵した。早く彼女を駅に送ってしまおう。
「じゃあ遠慮しないで、もっと食べてください☆」
 にっこりと微笑む日向だが、視線を北斗の手元から外す様子はない。
 やっぱりコレは食べなきゃダメなのか。心の中で泣き笑いしながら、ゆっくりとケーキを口に運ぶ。チョコレートの味が、救いだった。後でどうなるか、今は考えないでおくのが吉だ。今日は早く帰ろう。早く帰って寝よう。
 しかし、状況はケーキ一つで済まされないようで、北斗が手にしていたケーキを食べ終わるや否や、日向は再びトートバッグの中からいくつかの包みを取り出した。
「あと、前に先輩が言ってた麻婆茄子の惣菜パンも作って来ました。やっぱり試食第1号は発案者ですよね。それに先輩、エレーヌさんとのデートもままならないんじゃ、絶対まともな食事もしてないでしょう? 丁度いいかと思って。それから、パンで思い付いたんですけど、なすびジャムも作ってみたんです。こっちはどうですか?」
 思わずハンドルにうつ伏した。
 彼女の創作意欲は素晴らしい。が『噛み付き茄子』にこだわるのはそろそろやめて欲しいというか、せめて普通の茄子を使って欲しいと思うのは悪いことだろうか。
「……先輩? もしかして、迷惑でした?」
 さすがの日向も、ハンドルにうつ伏したまま動かない北斗の様子に思うことがあったらしい。しょんぼりと肩を落として俯いた。
「私、気付かなくて…ごめんなさい。喜んで貰おうと思ったんですけど…エレーヌさんの手料理に比べたら……要りませんよね、こんな物…」
 ――いや迷惑なのはそこじゃないし。
 そう心の中で突っ込むも、惣菜パンの包みを持つ手を力なく膝に置き、口元に自嘲の笑みを浮かべて視線を足元に落とした日向のその姿は、無言の圧力となって北斗にのしかかった。
「あ、いや、その、アレだ。日向ちゃんもセンスあると思うよ。こう……なんていうか、ほら、作るものも独創的だしさ。料理は味だけじゃないし、気持はすっごく嬉しかったよ、ホント。マジで。励まされたっつーかさ、うん」
 少なくとも、気が紛れたのは事実だ。
「だから――ん?」
 必死で弁明している北斗の視界に、一瞬、白い影が映った。
「日向ちゃん、ごめん。終電間に合わないかも」
「はい?」
 急に北斗の声のトーンが変わったことに気付いて日向が顔を上げる。
 北斗は懐の拳銃を確認すると車を出て、白い影が消えた後を追った。

 白い影は住宅が並ぶ狭い道を北斗がついてくるのを確認するように時折立ち止まるようにして進んでいた。それも、小走りに追いかけて見失わないスピードだ。意図的に誘っているようにも取れる。
 正体不明の影。影というよりは発光体という方が良いのかもしれない。はっきりとした形を取ってはいなようだ。しかしその気配は、北斗が事件現場で感じるものと同類。警察官襲撃事件の最初の現場で感じたかすかな気配に似ていると、思った。
「消えた?」
 いくつかの角を曲がり、そこでふと白い陰の気配が途絶えた。
 少し遅れて、日向が来た道から現れる。彼女は音を立てずに北斗の横に並ぶと、小声で尋ねてきた。
「先輩、何があるんですか?」
「わからん」
「わからんて――」
 二人が顔を見合わせた、まさにその時。
 二人の耳には馴染みの音が、静かな夜の住宅地に響いた。銃声だ。
 弾かれたように二人は音のした方へと駆け出した。豹の獣人である日向の動きは俊敏で、また聴力や暗視能力もただの人よりも優れいている。瞬く間に日向は北斗を引き離し、薄暗い道の先へと消えた。
 そして、数秒。
「先輩ッ!」
 切羽詰った叫びにも近い日向の声が響き渡る。
 北斗が日向のもとに駆けつけてみれば二人の警察官が倒れており、一人は塀にもたれてぐったりしている。日向はもう一人の胸を抑えてうずくまる警官の横にかがみこみ、必死で声をかけていた。
「……だ、大丈夫です」
 倒れていた警官はしゃべり辛そうに、それでも意識ははっきりしていた。
 出血は見当たらない。物々しく見えてしまうが、地域課の制服警官にパトロールの際に防弾ベストの着用するよう義務付けていたのだ。ただし、防弾ベストは銃弾を貫通させないが、衝撃を吸収するものではない。当たり所が悪ければ、肋骨や内臓を痛めることもある。
 北斗はもう一人に駆け寄り、脈を確認する。殴られた勢いで頭部を強く打ったのか、こちらは意識を失っているだけのようだ。
 ほっとしたのもつかの間、北斗は視線を感じたような気がして振り向いた。細い道の先、街灯の下に男の姿を見た。男の顔は陰になってよく判らないが、その姿は手配中の長谷川に似ていた。だが、次の瞬間にはその姿は無く、代わりに先ほどまで北斗を導いていた影が横道へと姿を消そうとしていた。
「日向ちゃん、本部へ連絡。応援を頼む!」
 叫ぶなり、ホルスターから銃を抜き走り出す。
 後ろから日向の制止する声が聞こえたが、北斗は無視をした。今は、あの白い影を見失ってはいけないと、そればかりを考えていた。

 北斗からの電話が切れた後、作りかけのケーキをしまった冷蔵庫を見て、エレーヌは再度ため息をついた。
 一度事件が起きると、刑事に休みの日はない。判ってはいるのだけど、顔すらみることが出来ないのは寂しいものだ。
「……やだ、私ったら」
 分別ある大人が、恋人の仕事にやきもちなんて。
 一人でいるのには、すっかり慣れていたと思ったのだけど。
 ソファの上に置いてあったストールを少し冷えた身体にかけると、シートに深く座り直した。
 エレーヌは来日してからずっと一人だったし、一人に慣れていると思っていた。
 どこにいても半妖の身である自分を意識しない時は無い。敬虔なクリスチャンであるエレーヌは、両親を愛してはいるが、過去に自らの出生を呪ったことが無い訳ではなかった。母は人間だったが、エレーヌの父はヴァンパイアハーフだった。二人の間に産まれたエレーヌにもヴァンパイアの血が受け継がれており、エレーヌの魔力の源でもある。
 しかし、そのヴァンパイアの血が、安らぎを見出していた神の家から追放されたきっかけになり、自らの出自と信仰心の狭間に苛まれたのだ。
 そのことについて現在では気持に整理はついているし、ギルドで仕事をするようになってからエレーヌが半妖であることを知っている親しい友人も今では多く存在する。普通の生活でも、教師仲間や教え子たちとはうまくいっている。
 けれど、心から気を許せる相手がいただろうか。
 実際の所、藤堂日向の夫である月岡雷はどう思っているんだろう。一緒に暮らしていれば、こんな想いはしないのかもしれない。けれど、一緒に暮らせば暮らすだけ、一緒にいられる時間が短くて辛いのではないだろうか。
 人はどんどん贅沢になる。
 いつの間にか目元で組まれていた手を解くと、エレーヌはワインでも飲もうと腰を上げた。ワインの香りは、気持を落ち着ける。
 常備してあるクラッカーとカマンベールチーズ、熟成タイプの赤ワインを用意した。フランス人なら、誰もが自然に身に付ける味の組み合わせだ。
 慣れた手つきでチーズから白黴を切り除き、クラッカーに乗せる。チーズの香りに惹かれて集まってきたタクル達を軽く追い払うようにして、愛用のワイングラスを取り出そうと食器棚の前に立つと、ガラス戸を開けて手を伸ばした。
「あっ」
 ぼうっとしていたのだろう。取り出したつもりが、グラスを床に落としてしまった。クリスタルガラスのワイングラスは砕けて大小の破片となって床に散り、無数の光を放っていた。
 慌てて手を伸ばしたエレーヌの指先に、痛みが走った。破片で切ったらしい。
 指先に赤い玉ができ、大きくなったそれは形を維持できず、赤い筋を皮膚に残して床に零れ落ちた。
「やっぱりショックなのかしら……」
 大きく息をつき、傷の付いた指先を口に運ぶ。口に広がる血の味に、エレーヌは顔をしかめた。
 知らず知らずのうちに、エレーヌの手は胸のロザリオを握り締めていた。
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