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■Report-24 バレンタインデーは死の予感

【4】

 ため息の数が増えたような気がする。
 「またかけます」と一言入っているだけの留守電の三度目の再生を終えて、エレーヌ・ケルブランは再びため息をついた。
 エレーヌの視線の先には、デコレーションを待つだけのケーキがある。
 電話があったのは真昼間。仕事で家を留守にしているときだ。電話の相手である恋人の大守北斗もそれをわかっていて、それでもその時間に電話を入れている。エレーヌも同様に北斗に電話をするが、大概が夜だ。そして、用があるときはやはり留守電になるのがほとんどだ。
 それは直接話すのが嫌だからとかではなく、お互いの仕事の形態の違いから生じていることだった。
 相手が刑事では、携帯に電話をする事もままならない。いつどこでどんな事件を担当しているかわからないのだ。かといって自宅にかけても、まだ帰宅していなかったりする。朝はさすがに気が引けた。
 メールは携帯メールを含め北斗があまり使わないため、結局、留守電でやり取りするという、一昔前みたいな事をしている。あるいは、例え留守電と言えど、声を聞くことができるのを幸いと考えるべきか。
 ニュースでは、相変わらず警官襲撃事件の話題が取り上げられていた。最初の事件の被害者が北斗の勤めている署員であることを、エレーヌは翌日の新聞で知った。その後、北斗と話す機会があったときに、事件の捜査に関わることになったということは、本人から簡単に聞いた。そして今、北斗がその事件にかかりきりになっているだろうことは考えるまでも無い。
 最後に話をしたのは、何日前だっただろう。
 壁にかけられたピューターのフレームの時計を見れば、針は日付が変わるまでわずかしかない。北斗が0時を過ぎて電話をかけてくることは今まで殆どなかった。朝の早いエレーヌに配慮してのことだろう。
 今日も、入浴中に電話がかかってきてもすぐに電話に出られるように子機を脱衣所に置いたりしていたが、無意味だったらしい。
 再度ため息をついた。
 この時間まで連絡が無いという事は、明日の約束は十中八九無理とみて間違いない。
 諦めてケーキを冷蔵庫に片付けて、居間の明かりを消し寝室へと向かおうとしたエレーヌの視界の端に、電話の着信ランプが点滅する様子が映った。遅れて着信音が鳴り始める。
 慌てて電話にかけより、ディスプレイに視線を走らせる。表示された名前を見て息を呑んだ。そっと受話器を持ち上げ、耳にもってゆく。
「もしもし?」
『――大守です。あの、今、大丈夫ですか?』
 聞き慣れた、いつもの気遣わしげな声。
「ええ、起きてましたから」
『その、明日なんですけど……やっぱり、時間取れないと思います。すいません。今日までに解決できればよかったんですけど……。それに、あまりゆっくり話もできなくて』
 ――やっぱり。
 ニュースや新聞の情報や、今まで連絡が無かったことから予測はしていた。落胆というよりは、諦めがついたという感じだ。
『本当にすいません。エレーヌさんにも都合をつけてもらっているのに』
 それでも、北斗が自分に気を遣っているのは判る。捜査上の詳しい内容を北斗から聞いたことは無い。そうでなくても、北斗の態度から、今回の事件は自分を心配させるだけの内容なのだろうと想像できた。
「気になさらないで。お仕事ですもの。それに、撃たれた方、どちらも北斗さんのお知り合いだったのでしょう」
 少しの間を置いて、返事が聞こえた。
『ええ』
「北斗さん、思うことはいろいろあるでしょうけれど、あまり無理をなさらないでくださいね」
『大丈夫です。無理をするほど俺も若くないですから。それに、俺にはエレーヌさんから貰ったロザリオの2代目がありますからね』
 北斗の持つロザリオは、極度の銀アレルギーを持つエレーヌの為に作られたステンレス製の特注品で、エレーヌが自らの魔力を込めた品物だ。初代は《天使の銃》を巡る事件でおしゃかになっている。
「けど、それは――」
 ギルドメンバーとして仕事をする際に、対魔、対霊の素養が無い北斗には大変効果のある代物だった。もともと北斗は霊視能力を持つと同時に霊気に影響されやすい体質なのだが、このロザリオを譲り受けてから影響を受けることが少なくなったらしい。しかし、物理的な攻撃に対する効果は、実質的に皆無である。警察官としての北斗にはあまり意味の無いものだろう。
『これ、俺の一番のお守りですから』
 落ち着いた声。エレーヌはこの一言に胸が熱くなるのを感じた。
『あとですね、この事件が落ち着いたら、その、少しは時間が取れると思うんです。それで、そのときにでも一緒に見てもらいたいものがあるんですけど……』
 話している時間があまり無いのだろう。北斗は少し早口になっていた。久し振りの会話だというのに、ゆっくりと話すことが出来ないもどかしさを憶える。それでも、ギリギリのところで自分のことに気を回している北斗に気持を悟られぬよう、口調に気をつけた。
「ええ、もちろんお付き合いしますわ。早く事件を解決できるよう、私も祈ってます。お気をつけてくださいね」
『ありがとうございます。ゆっくり話もできなくて』
「本当に気になさらないで。声が聞けただけでも嬉しいんですもの」
 けれど、これは本心からだった。

「先輩、電話終わりました?」
 通話を終え携帯を畳む北斗に、助手席にいた藤堂日向が車から外に出て尋ねてきた。
「ごめん、時間取らせて」
「いえ、いいですよ。私は直帰って報告してますから。先輩は車を返しに署に戻るんでしょう? そうしたら電話できませんもんね。相手、エレーヌさんでしょ?」
「よくわかったな」
 エレーヌはインターナショナルスクールの教師だ。不規則な生活が当たり前となっている北斗とはなかなか時間が合わない。そのうえ、今は大きな事件を抱えている。朝は早いし、家に帰るのも深夜だ。そのまま署に泊まることもあれば、警察署の敷地内にある待機寮住まいの同僚佐々野の寝床を借りることもある。エレーヌの仕事を考えると、うかつな時間に電話はかけられなかった。
 が、背に腹は変えられぬ状況もある。
「先輩がエレーヌさん以外の相手でこそこそと電話します? やっぱり明日のデートのキャンセルですか?」
「……俺、そんな話したっけ?」
「ヤですよ、先輩。してなくても普通想像できますって。明日……」笑いながら北斗の横に並び、日向は時計を確認した。「ってもう今日ですね。14日なんですから。先輩、休みだったんじゃないですか?」
「せっかく西江田さんに都合つけてもらったんだけどね」
 車にもたれて、眉を寄せた北斗は大げさにため息をついて見せる。
「眼鏡の髪の薄い人?」
「本人の前でそれは言わないようにな。最近特に気にしているから」
 怖そうな人かと思ってましたと日向が笑い、つられて北斗も軽く笑った。
「エレーヌさんには悪いけど、長谷川を捕まえるまでは落ち着いて会えないよ」
「先輩はそれで良いかもしれないですけど、待たされるエレーヌさんの方は堪りませんよ、絶対」
 わざとらしく日向は首を振る。
「ところで先輩。ココに用事って?」
 路肩に停められた車から、道路の反対側に日向は視線を向けた。視線の先側には人気の無い深夜の工事現場だ。警察官襲撃事件の犯人の捜査をしていた時に訪れた場所で、古い木造アパートの解体現場だった。今は庭木や庭石等もすっかり取り除かれて更地になっており、ボーリング調査中のようだ。おそらく、周辺と同様にちょっと小洒落たビルが建つことになるのだろう。この辺りは、古い土地だが、どんどん開発が進んでいる。
 現在犯人として手配されている長谷川は、事件直前までここで働いていた。
「日向ちゃん、今回の事件どう思う?」
「……そうですね。一言で言うと、普通じゃないような感じがします」
 北斗の質問に軽く首を傾げ、慎重に言葉を選ぶように日向は答えた。
 二人目の被害者となった森巡査の様態は、命に別状は無かったがしばらくの入院が必要だという事だった。彼は弾を脇腹に受けたが、すぐに同僚が駆けつけたため次弾を受けることなく済んだのだろう。
 この件により、地域課の警官には防弾ベストの着用が義務付けられ、刑事たちにも拳銃を常に所持するように伝えられた。また、被疑者である長谷川の発見の報告と同時に機動隊が出動することも確認された。一部の捜査員には予備のマガジンの携帯も許可される。警察学校時代から射撃の腕に定評があった北斗もその一人だ。とはいえ、本来なら刑事が拳銃を使うようなことにならないのがベストではあるのだが。
 そして、被疑者として全国手配されている長谷川の足取りは未だに掴めていない。
「まず、被疑者の動機がはっきりしません。なんの為に拳銃なんか欲しがるんでしょうか? 確かに拳銃は威力のある武器ですし、使うと弾の補充もしたくなるとは思うけれど、警官から続けて拳銃を奪うのってなかり無茶苦茶だと思います。お金はかかりますけど、銃を手に入れられるルートは無い訳じゃなし」
「……それに、拳銃を奪っておいて他のことに使っていないのが気になるしな」
 七年前の事件を洗いなおしている佐々野らの報告では、長谷川は七年前の犯行現場近くに住んでおり、事件後に引越しをしている。実行犯とみてほぼ間違いないだろうとのことだ。
「七年前に殺された宮下巡査と、最初の被害者の平越巡査長、そして今回の森巡査が大門署以前に同じ署にいたこともなく、特別なつながりは見付からなかった。平越さんと森君が個人的に狙われたという線は薄いな。宮下もそうだったけど、二人が長谷川をしょっ引いた記録も無いし、記憶も無いそうだ。というか、大門署には全くない。制服警官ばかり狙っているし、警察官そのものに恨みでもあると見るべきか……」
「恨みっていうには、二回目も拳銃を奪おうとしている形跡がある。でしょう」
 日向が続けた。
 犯人は動けなくなった森巡査に近付いて止めを刺すのではなく、巡査の拳銃に手を伸ばしたと言う。
「七年前の事件も今回のことが無かったら、そのまま時効まで逃げおおせることが出来たかもしれないのに、なぜ今になって当時の拳銃を使って警察官を撃ったのか?」
「解せませんよね」
「なんか、こだわっているような気がするんだよな。……執着って言った方がいいかもしれない。警察官から拳銃を奪うという行為そのものに、執着しているような気がする。そういう意味では七年前の事件とは全然質が違うような気がするんだ。犯人が同じだとしても」北斗は足を現場の方へと向け、歩き始めた。「でも、ここまでは他の皆も気付いてる」
 北斗の言葉に、日向もうなずいた。
「現場の人、長谷川が豹変したみたいなこと言ってましたよね。これ、先輩だからいえるんですけどね、何かに『憑かれてる』ってこととかありません?」
 警察の捜査は現実主義で動いている。冗談ではない語り口の日向の言葉は現場の捜査官とも思えない発言だ。
「ありえない話じゃない。というか俺もそれが気になっていたんだ。ここに初めて来た時のこと憶えてるか? 空気が重いというかよどんだ感じがあったの。あれ、気のせいだったのかってね」
 二人は警察官であると同時に、ギルドメンバーでもある。現実では考えられないような出来事や、常識から考えると一蹴に伏されるような内容の事件を、ギルドメンバーとしては扱ってきた。
 そもそも、北斗は昔から幽霊などを見てきていたし、それで殺人事件を解決に導いたこともある。この事件の相棒となった日向といえば、実は獣人と呼ばれる種族だったりするのだから、二人揃って非現実的なのも甚だしい。もちろん、ギルドメンバーと呼ばれる面子の中には、二人以上の能力を持つものがあたりまえの様に多数存在していたりする。
 話を戻すと、二人にとって、世間一般的に非現実的な出来事であれ、そこにあるものが現実なのは事実だ。
「そうだとすれは、事件はある意味単純になってくる。……警察の仕事じゃなくなるけどね。それで何かわかるかと思ったんだけど、どう?」
「こういうモノに対する感覚は先輩のほうがあると思うんですけど。なんか、普通。前みたいな感じは全然しませんね」
「日向ちゃんもか……。取り越し苦労だったのか、抜け殻なのか。これ以上のことは今は調べ様が無いよな」
 一息つくと北斗は踵を返し、日向を車へを促した。
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