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■Report-24 バレンタインデーは死の予感

【3】

 加古川琳がおやつに使えるお小遣いは、外出時に限り、1日150円である。基本的に琳はお金を使うのが下手である。なので、これは加古川家の財布を握る琳の双子の弟(表向きは兄ということになっている)加古川恋が決めた。
 実際の所、琳は人が集まるところに出かければ誰かが何かを奢ってくれたり、料理が趣味の友人知人が多いので差し入れ等が多く、その150円も使わずに済むことがある。なので、たまには財布の中がちょっぴり……ほんとにちょっぴりだけど、リッチだったりすることもある。
 そんな琳が、そのちょっぴりリッチな気分を楽しむ店があった。
 ギルドメンバー御用達、24時間営業のファミレスのプリンキャッスルだ。
 ファミレスなのでもちろん普通の料理もある。だが、この店の売りは店名にもなっている特製のプリンだ。カスタードプリン、ゴマプリン、ミルクプリン、抹茶プリン等、〜プリンと名のつくメニューの数がとにかく多い。また、季節限定プリン、バースデープリン等、イベント系メニューも豊富だ。そして、安い。小学生のお小遣いでも食べるものがあるくらいに。(※ギルドメンバーに小学生も多いからかもしれない)
 それに、店にいけば知り合いのギルドメンバーも一人は二人は必ずいて、話し相手にも(そして奢ってくれる人にも)困らなかった。
 今日の琳はダイレクトメールのハガキを手にしていた。2月。日本全国チョコレートの季節。14日までの期間限定チョコレートとプリンのフェアのお知らせ(割引チケット付)だ。
 駅を出てからワクワク気分で琳はプリンキャッスルに向かった。ふと、目の前に見覚えのある女性が歩いていることに気が付いた。エレーヌ・ケルブランだ。
 声をかけるにも駆け寄るにもちょっと距離がある。歩くスピードは同じぐらい。判断が難しい距離だ。すると、エレーヌが立ち止まった。足元を気にしているようだ。歩道の脇に寄って、靴を気にしている。
 ほどなくして、琳はエレーヌに追いついてしまった。
「ケルブランさん、お久し振りなのです。どうかされましたですか?」
 琳に気がついて、エレーヌが顔を上げた。
「あら、琳くん。……ブーツの靴紐が切れてしまったの。珍しいこともあるものだわ」
 見れば、エレーヌのショートブーツの紐が切れている。
「靴紐が切れたですか。それは困るですね」
「プリンキャッスルに寄ってから家に帰ろうと思ったのだけど……お店なら何か代わりになるものがあるかしら。家まで持てば良いのだし」
 歩き難らそうだが、目的地のプリンキャッスルまではさほどの距離は無い。琳とエレーヌは他愛もない話をしながら連れ立って歩き始めた。
「そーいえば、ケーキはどうですか?」
「ええ、お陰さまで準備はバッチリよ。お二人に味見してもらってよかったわ」
 琳は先日エレーヌが味見をと持ってきたケーキを思い出していた。
 ブッシュ・ド・ノエル。フランス語で「クリスマスの薪」という意味のチョコレートのロールケーキで、クリスマスケーキの定番中の定番だ。丸太に見立てたモカクリームのロールケーキを、ぐるっとチョコレートクリームで包んで木肌の模様をつけ、最後に粉砂糖を小雪の様に散らしたものが一般的である。そして、エレーヌの得意のお菓子の一つでもあった。
 彼女はこのチョコレートケーキをバレンタインデーのプレゼントにしようと考え、その前段階として加古川兄弟に味見を頼んだのであった。
 思い出すだけでもヨダレがでてくる一品だった。
「北斗さんのケーキを焼くとき一緒に、またお二人の分も作るわね。お礼も兼ねて」
 そう言って微笑んだエレーヌの表情が、すこし曇っているような感じがして。
「なんだか、ケルブランさん、元気ないような気がするです」
 琳の言葉に、エレーヌは表情をかげらせた。
「ここのところ、警察官が襲われた事件があったでしょう? 最初の被害者の方が北斗さんと同じ署の方だったの。今、その捜査に関わっているそうなのだけど、全然連絡が取れないのよ。この感じだと14日は会えそうにないかしらってね。……2月中も難しいかもしれないわ」
「にゅー。それは残念なのです。ケルブランさんのケーキはあんなに美味しいですのに」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ。けれど……」
 エレーヌは自身の左手薬指の指輪を右手で軽くいじった。以前、北斗がギルドの仕事で手に入れ夏祭にエレーヌに譲った『雫のエンゲージリング』だ。あの頃から、エレーヌは素直な気持で付き合える様になった。
「お二人の前で大見得を切ったのに、なんだか決心が揺らいでしまうわ。気持は全然変わらないのに」
 エレーヌがブッシュ・ド・ノエルの試食を頼みに加古川家に訪れたとき、彼女は恋人にバレンタインデーを機に今の気持――これから先の人生をずっとあなたの隣で歩いていきたいと、はっきりと伝えたいと言ったのだ。そのためのケーキだと。
 憂いがこもったため息をつくエレーヌに、琳もつられて一緒にため息をついた。
「警視庁に移動になるって話もあるみたいだし、そうなったら今以上に忙しくなるでしょう? 私ったら、弱気になってしまっているのかしら……」
 ――うにゅ?
「でも、今は彼が無事でいてくれれば、いいとも思っているの。北斗さんが私のことを大切に思ってくれているのはよくわかるもの、あまり我侭を言ってはいけないわよね」
 ――い、今、なんとおっしゃいましたか?
 琳は思い出していた。というか、今の今まで忘れていた。
 エレーヌの言葉の最後の方は、もはや愚痴だか惚気話だかわからないような話になっていたが、琳には聞こえていなかった。
「ごめんなさい。変な話を聞かせてしまって。……琳くん?」
 いつしか琳の足が止まっていた。ぐるぐると記憶が回る。
 どうしようどうしようどうしよう。
 ふと琳が顔を上げると、琳とエレーヌの前に黒猫がいた。琳と目が合った瞬間、猫はにゃあ、と鳴いて二人の前を横切るようにして去ってゆく。
 昔からの言葉にあるではないか。黒猫が横切ると不吉なことが起こる。下駄の鼻緒が切れるとよからぬことが起きる。最近は靴紐が切れるとと言い換えられているが。もしかして、もしかしなくても、今、まさにピンチ?!
「あああああの、ケルブランさん」
「琳くん、どうかしたの? 大丈夫?」
 かたかたと震える琳の肩に手を置いて、心配そうにエレーヌが顔を覗き込んでいる。
「……ケ、ケルブランさんは今、幸せなのですか?」
 唐突な質問の意を理解しかねて、エレーヌは首を傾げるが、しばらくしてアイスブルーの瞳を細めて微笑んだ。
「ええ。とっても」
 その微笑と言葉が、心の底からのものであることをひしひしと感じる。琳は泣きそうになった。
 ――言えない! 言える訳ないじゃないか。恋人である刑事さんが殉職しちゃうなんて!
 ふるふるふると首を振ると、琳はぎゅっと拳を握った。
「ボボボク、ボク、用事を思い出したです。い、急いで帰らないといけないです」
 もうプリンキャッスルは目と鼻の先で、横断歩道を渡ればすぐそこだった。けれど、今はチョコ&プリンフェアを楽しもうとか、そんな気分になれない。否、早くここから――エレーヌの横から立ち去りたかった。
 エレーヌは少し残念そうな顔をしたが、すぐにいつもの穏やかな微笑を取り戻した。
「話を聞いてくれてありがとう。嬉しかったわ」
 琳は脱兎のごとく、もと来た道を駆け出していた。

 軽く鼻歌を歌いながら、崎守透はエレベーターを降りた。
 手に引っさげているのは手製の綿の手提げ袋二つ。レジでビニール袋を断って代わりにスタンプを貰い、それが20個集まると100円値引き券が貰えるのである。中身は食料品だ。加古川家の分と、ついでに良いセール品があったので買った自分の家の分。
 加古川家のドアの前に立ち、インターホンを押す。しかし、返事が無い。今日、お邪魔することは確認していたはずなのだけど。
 もう一度、インターホンを押す。しかし、誰も出てこない。
 透はドアノブに手をかけた。鍵は開いていた。
 部屋に入ると、暗がりの中にテレビの音だけが聞こえた。テレビの前のコタツには、琳が座布団を折りたたんだものを枕にして寝ていた。
「寝てるんですか?」部屋の明かりをつけて、透が声をかける。「風邪をひきますよ?」
「寝てないです」
 もそっと身体を動かして、琳は身体を起こした。
「じゃあ、電気つけないと。目が悪くなりますよ?」
 エプロンをつけ、買ってきた食材をテーブルに並べる。茄子は琳の目につかないよう早々に流しに置いた。
 鍋とフライパンを用意し、材料の下ごしらえを始めた。小気味よく包丁がまな板を叩き、野菜が刻まれる。肉の表面をオリーブオイルで焼くと芳ばしい香りが広がった。
 琳は黙ったままだ。
「今日はカレーですよ。茄子はよ〜く煮込みますから、大丈夫だと思います」
 オリーブオイルで炒めた具を鍋に入れる。細かく刻んだ茄子も一緒だ。あとは茄子が形を残さないぐらいまで煮込んで、カレールーを溶かすだけ。
「あの……透さんは、大切な人が突然いなくなってしまったらどう思うですか?」
「どうしたんですか、やぶから棒に」
「ボクは、みあさんが急にいなくなったら、悲しいし、寂しいし、辛いし、我慢できないし、きっと泣いちゃうです。それで、やっぱりボクはダメな奴だなぁって思うですし、みあさんの横に立つ資格はやっぱり無かったんだって思うですし、じゃなくて、ボクの力が足りなかったからみあさんを失ってしまったんじゃないかと思うです。きっと世界一不幸な気持ちになると思うです」
 全然話が見えない。
「みあさんと何か遭ったんですか?」
「違うです」琳はかぶりを振った。
「……実は透さんにお願いがあるです」
「僕にできることなら、お手伝いしますよ?」
 琳は声を潜めて言った。
「ボクはケルブランさんの刑事さんを助けたいと思っているです」 
 全然事情が飲み込めない。
「つまり、それって……?」
 琳のすがるような瞳に見つめられて、透は返答に困った。
「今日、ケルブランさんとあったです。刑事さんとなかなか会えなくて、バレンタインデーも会えそうに無くて、寂しそうだったです。それで……それでですね、」
 それまでうつむき加減だった琳が顔を上げ、何かを確信しているような真剣な眼差しを透に見せた。
「刑事さんの殉職フラグが増えてたです!」
 一瞬何のことかと考え、それがすっかり忘れていた話題だったことを思い出して、透はようやっと苦笑することができた。
「あれはドラマの話ですよ。心配しなくても大丈夫ですって」
「そんなことないです!」
 だが、琳はぶんぶんと首を振る。そして堰を切ったように話し始めた。
「なんだかマジでヤバイです。刑事さんは警視庁に移動になるっぽいですし、これって刑事の中の刑事、エリートすなわち栄転。あ、警察官のエリートとは基本的に別モンですよ? それと、ケルブランさんと刑事さんはバレンタインデーに約束してたとゆー裏も取れましたですし、近頃は警察官を狙った事件が起こってたりするですし、もう殉職へのお膳立てはバッチシなのです。そのうえ、今日は、ケルブランさんの前を黒猫が横切ったり、靴紐が切れたりしたです。これで鏡が割れちゃったりなんかしたらカンペキなのです。ほっとくとフラグがどんどん増殖していくに違いありませんです!」
 なんだかえらい自信ありげだ。というか、殺したがってませんか。
「それに、それに、刑事さんが殉職しちゃったら、ケルブランさんは思いを伝える為に一生懸命作ったケーキを渡せないです。ケーキ作る必要がなくなっちゃうです! それはちょっぴりボクも残念なのです」
 なぜ琳が残念なのか、透は聞かなかった。熱弁は続く。
「このことに気付いているのは、ボクたちだけです。だから、刑事さんを殉職しないよーにできるのはボクたちしかいないです。ボクはその刑事さんをよく知らないですけど、ケルブランさんにとってすっごく大切な人だってことはよ〜く判りますし、ボクもみあさんがその…そういうことになったら……ならないように何とかしたいと思うです」
 琳は情けなさそうな顔をした。
「ボクはなさけないです。ケルブランさんに本当のことが言えなかったです。本当のことをいうと、ケルブランさんは悲しむです。だから何とかしたいと思ったですけど、ボクだけでは不安なのです。お兄ちゃんにも頼めないですし……。だから、透さんに手伝って欲しいですけど、……ダメですか?」
 根拠も論点も無茶苦茶だが、琳が一生懸命なのはよく判った。そっと、透は琳の柔らかい髪を撫ぜた。
「……琳さんは優しい人ですね」
 透の言葉に何かを言おうとした琳の唇に、すっと人差し指を添える。
「琳さんの推測だと、危険なのは13日と14日なんですよね?」
 琳の瞳が輝く。透は両手を腰に置いた。
「お付き合いしましょう。危険な目に遭うことがわかっている人を、そのままにしておけませんもんね」
 正直なところ、透はこの話を信じてはいない。けれど、琳が一生懸命なのだ。友として、彼が傷つく結果にはしたくないと思った。何事も無ければ、それはそれででいいではないか。
「さて。そうと決まれば人助けも体が資本。夕食作りの続きといきますか。琳さんも、ご自分の命を守る為に茄子の姿焼きぐらい食べられるようにならなきゃいけませんからね」

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