tg2.gif

■Report-24 バレンタインデーは死の予感

【2】

 携帯に緊急連絡を受けて、大守北斗はタクシーで現場へ到着した。
 事件の発生時刻は午後6時過ぎ。現場へ到着した北斗を迎えたのは、寒さに負けじと群がる野次馬の群集と、駆けつけたばかりのマスコミ関係者。そして青い顔をしながらも仕事をしている警察官たちだ。
 白い綿の手袋をはめながら、北斗は足早にポリスラインをくぐった。吐く息が白い。
「おつかれ」
 北斗の姿を目に留めて、北斗とコンビを組む佐々野が手を軽く上げた。
「デート中?」
「帰宅途中」
「その割りには変なところにいたな」
 佐々野の言葉は、携帯に連絡をしたときに北斗が署を挟んで自宅とは反対方向になる繁華街に近いところにいたことを指していた。
「それで、平越さんは?」佐々野の言葉をあえて無視するように、北斗が尋ねる。
「救急車で運ばれたが、左胸を正面から撃たれてた。かなり危ないらしい」
 眉間にしわを寄せて、佐々野は続けた。
 現場には、鑑識が路面につけた白いチョークの印が点在してる。
「あと、拳銃が奪われている。犯人の目的は銃だったんだろう」
「一緒にいたのは?」
「横田巡査だ。1、2分、別れていた間の出来事だったらしい。銃声と犯人の立ち去る音らしきものは聞いたが、姿は見てない。八坂さん達が周辺の聞き込みをしているが、今のところそれらしい人物を目撃したという話は無いみたいだ」
 現在犯人の捜索が続いているはずだが、姿形が判らないではやっかいだ。
 北斗は周辺に目を配った。現場までは人しか通れないような、道幅はさして広くない飲み屋が連なる路地を通り抜ける。駅から国道までを繋ぐ最短ルートの為、歩行者は多いが、ここからさらに脇道にそれると、一気に人気がなくなる。そこは街灯も暗く、死角は多い。平越巡査長が撃たれたのも、脇道にそれて少し進んだところだった。
 それにしたって、平日の午後6時だ。帰宅する会社員や学生など、全く目撃者がいないのも不自然な話だ。
 鑑識係が現場写真を取り終わるのを待って、北斗は巡査長が倒れていたすぐ横の、建物と建物の間の隙間に身体を入れる。飲食店なら、ゴミの入った青い大型のポリバケツがよく置いてあったりするところだ。ここも似たり寄ったりで、スーパーの袋に入ったゴミが転がっていたりした。建物の向こう側に通り抜けることは出来そうだが、障害物は多い。逃げる為のルートとしては不都合だろう。しかし、光が入らない分、隠れるには都合が良さそうだ。
 北斗はマグライトで足元を照した。散乱したゴミは、明らかに何者かに踏み荒らされていた様相を見せていた。人がここにいたことは確かだろう。もし犯人ならば、足跡や遺留品の一つも落ちているかもしれない。
 人を呼ぼうと北斗が身体の向きを変えた時だった。
 ――何だ?
 ふと人の気配を感じたような気がして、北斗は振り向いた。しかし、そこには誰もいない。あるものといえば、踏み荒らされたゴミ袋、はみ出た生ゴミや煙草の吸殻など。
 北斗の身体の動きで空気が動いた為か、小さく丸められた紙くずが目にとまった。丁寧に開いてみれば、コンビニのレシートだ。少し文字が読みにくくなっているが、住所も電話番号もわかる。すぐ近所のものではなかったが、管轄内だ。日時は3日前。
「何か見付かったか?」北斗の様子に、佐々野が声をかけた。
「ゴミばかり。人がいたらしい様子はあったけど、ここに犯人が潜んでいたからなのかどうかはわからん」
「それは?」
 佐々野は北斗が手にした紙切れに視線を落とす。
「コンビニのレシート。関係あるかどうかはわからないけどな」
「……勘?」
 北斗は証拠物件としてビニール袋へレシートを入れた。
「かもな。そこの生ゴミとは別のようだし」
 レシートを手にする直前の感触を思い出す。あれは、間違いなくこの小さい紙切れが犯人に繋がるものであると、北斗に知らせるものだ。
 何時からだったか、北斗には時々死者の姿を見たり、気配を感じたりするような時がある。
 事件現場などで遭遇するのは、大概が被害者だ。彼らは犯人に繋がる手がかりを示してくる。その場に端的に人物がわかるものがあればそれを、無いなら無いなりに何かを。その際、霊気に中てられてか、気分が悪くなったり酷い頭痛がしたりするのだが、周りには単に死体を見て気分が悪くなっているだけと思われているらしいのが、やや心外ではあるのだが。
 だが、不可解だったのは、今回は誰も死んでいないことだ。被害者の平越巡査長は生きているのだから。

 翌日、警察官を狙った発砲事件として、大門署に捜査本部が設けられることになった。
 撃たれた平越巡査長は一命を取り留めた。その報告に大門署の面子は胸をなでおろしたが、しかし、巡査長はいまだ意識不明のままである。
 その平越巡査長から摘出された弾のライフリングから犯行に使われた銃は、警察庁、警視庁をはじめ、海上保安庁等、公的機関で使用されているニューナンブM60と特定された。また、この拳銃が7年前に何者かに殺害された宮下警部補(当時巡査)から奪われたものライフリングと一致したというのだ。
 捜査会議に参加している捜査員達からどよめきが上がった。北斗も、手帳にメモを取っていた手を止めて聞いていた。
 警察官が狙われた事件というだけでも皆が激しい憤りを感じているというのに、その犯行に使われた凶器が、殺された警察官から奪われた拳銃だというのだ。そして、その7年前の事件も、犯人の特定には到っていない。

 会議が終わり、捜査員達は二人一組となってそれぞれの仕事へと散ってゆく。
「大守先輩と組むのも久し振りですよね〜」
「2年ぶりかなぁ」
 北斗と組むことになったのは、警視庁からやってきた藤堂日向だ。彼女が本庁に移動になる前に、一時期組んでいたことがあった。
「くそう。なんでこうなんだ」
 いかついオヤジと組み7年前の事件の洗い直しをすることになった佐々野は、非常に悔しそうな顔をして、北斗たちの目の前をそのオヤジに首根っこを引っ張られるようにして署を出て行った。
 佐々野友則巡査部長は、そういう意味での運はない奴だった。
 北斗と日向は現場から見付かったコンビニのレシートを持っていた人間の捜索だ。
「そういえば先輩。本庁にくるんですか?」
「誰に?」
「前に野瀬警部に先輩のこと聞かれたんで。野瀬さん、先輩のこと買ってましたよ。今まで誰も目をつけなかったのが不思議だって」
 野瀬警部は、日向の現在の上司だ。
「野瀬警部とは前の合同捜査本部で一緒になった時に声をかけられたよ。それにしても、それは買いかぶりすぎだと思うな」
 自分のことを良く言われて嬉しくないはずは無いが、心中複雑だ。
 刑事課の中では、北斗は勘が良い、ということになっている。北斗のその『勘』が、事件の早期解決に貢献したといえなくもない事件もいくつか存在するのは確かだし、警視庁への移動もこのことと無関係ではないだろう。だが、その『勘』は刑事として積んだ年数に鍛えられた感覚とは明らかに違うものであり、北斗個人を評価されることに後ろめたさがある。
 ただ、この能力が被害者の声を聞くためにあるのだとしたら、積極的に耳を傾けるべきであり、そしてそれを生かせないのなら、自分が刑事である意味は無いのではないかと思う。
 ちなみに、本庁の捜査一課は判りやすくいえば勧誘制だったりする。北斗の警視庁への移動はほぼ内定していた。後は書類と事務手続きと都合を待つだけだ。
「私も大守先輩のことしっかりアピールしときましたし、野瀬さんも、藤堂もそういうならばっちりだろうって喜んでましたよ」
 なんだかひっかかるような気もするが、このことについては、ひとまず額面通りに受け取っておくことにした。
 二人が目指すコンビニエンスストアは、商業の中心からやや離れた商業地と住宅地の混在する地域にあった。たまたま立ち寄るコンビニとしては駅から離れており、周辺に特別な施設は無い。利用者は近くに住んでいるか、通っているかのどちらかだろう。
 店では早速、レシートに印字された時間の防犯ビデオをチェックさせてもらった。時間と買ったものが判っているだけに、人物を特定するのは比較的楽だった。短髪で長身の男だ。グレーのジャケットに黒のセーターかトレーナー、下はジーンズ。
 店員にその客のことを尋ねたところ、最近来店するようになり、だいたい同じ時間に利用していたということ、そして防犯ビデオに最後に映った時以来来ていないということを話してくれた。テープは任意の提出を求め、テープは本部に持ち帰り分析に回すことにした。
 しかし、この男が容疑者なのかはまだ判らない。現場に、3日前のレシートを落とした男である、というだけなのだ。

 それから数日。
 相変わらず警察官襲撃事件の目撃者やそれに関わりそうな情報は出てこない。捜査員達の活動むなしく、めぼしい情報を手に入れられないままに、時間は過ぎる。
 そんな中、北斗と日向もコンビニの男を探すために周辺の聞き込みを続け、今、二人は古い木造アパートの解体現場の前にいた。
 大家の母屋が同敷地内にあったせいか、敷地自体は広い。母屋はすでに取り壊されていた。取り壊し中の木造アパート部分は半分ほど潰されており、建物の中がむき出しになっていた。よく見れば押入れに布団が残ったままになっていたり、妙な生々しさを感じずにはいられない。
「何かここ、空気が重い感じがしますね」
「日向ちゃんも……? 実は俺もそう思ってたところだ」
 原因が何なのかは判らない。工事現場だけに単に空気が悪いだけなのか。或いは、古い建物が壊されてゆくという姿に、センチメンタルな気分を呼び起こされているのか。
 スーツ姿の二人の姿を不審に思ったらしいヘルメットの男が一人近付いてきた。
「ここは工事関係者以外立ち入り禁止だ。何か用なのか?」
「警察のものです」
 北斗と日向が手帳を開き、バッジと身分証明書を提示する。
「人を探しているんですが、少々お時間をいただけますか?」
 防犯ビデオに写っていた人物をプリントアウトしたものを見て、何人かの作業員が口をそろえて長谷川という男に似ていると答えた。
 通いの日雇いの土木作業員である長谷川恭助は、真面目でおとなしい、だが口数が少なくあまり人と馴れ合うようなことをしない男だという。数日前――防犯ビデオに写った翌日――にぱたりと来なくなり、一切連絡が取れなくなったという。
「何か彼の身の回りで変わったようなことがあったとか、そういう話を聞いたりしませんでしたか? あるいは、彼の態度がおかしかったとか」
 北斗の質問に、作業員たちは互いに顔を見合わせた。
「実は、ちょっとだけ……」
 口火を切ったのは、建物を解体する為のショベルカーを操作している男だった。
 解体中にアームの操作を誤り、敷地の角で休憩していた長谷川にぶつけそうになったという。長谷川の横にあった庭石らしき石積みを崩してしまったが、長谷川自身には怪我は無く、大事には到らなかったという。
「あそこですけどね」そう言って、男が指した先には枝の折れた低木と転がる大きな苔むした石がいくつかあった。
 ショベルカーのアームも然ることながら、あのサイズの石がぶつかってきても無傷では済むまい。
「その後、今まで見たこと無いような表情で睨むんですよ。そら、一歩間違えれば奴は死んでたわけですけど……というか無傷なのが不思議なぐらいで。俺はてっきりヤバイことになったかと思って。でもそのあとは、逆に怖いくらい何事もなかったようにいつも通りでしたけど」
 二人は現場の責任者から長谷川の住所を貰うと、礼を言い工事現場を後にした。
「関係あるのかしら?」
「まだなんともだ。長谷川のアパートに行ってみよう」

 どうやら、長谷川はしばらく部屋に帰っていないようだった。
 6畳一間と簡単なキッチン、ユニットバス。雑然としているようで、しかし物は少なかった。交友関係がわかるようなものは見当たらない。
 キッチンの流しにはカップめんのゴミや、ビールの空き缶などが適当に置かれている。口が結ばれている足元のコンビニの袋を明けてみれば、弁当のゴミだ。製造日は事件の前日。探しても、それ以降のものは無い。
「先輩」
 日向が畳の上に落ちている黄ばんだ新聞の横にかがんで手招いた。
 その新聞は包んでいた何かを取り出したときのように、くしゃくしゃになっていた。そして、包んでいたものの形を残していた。
 拳銃の形に見えた。そして、日付は7年前のものだった。

 犯行現場に残されていた靴跡とアパートの玄関に残されていた靴跡が一致し、長谷川恭助は重要参考人として手配された。
「ところで」深夜近くになってようやっと退庁した後、一息つこうと入ったコーヒーショップで、カフェ・ラ・テを片手に日向は切り出した。
「先輩は7年前の事件って知ってます?」
「そら、そのときは警官だったし。……交番勤務だったけど。なんで?」
「そういう知ってるなら私だって知ってますよ。ずっと気になってたんですけど、大守先輩、捜査会議のときも、アパートの部屋で7年前の新聞を見つけたときも、えっらい怖い顔してましたよ? 確かに今回の事件は警察官を狙った悪辣な犯罪ですし、大門署の人にとってはまさに同僚が狙われた事件です。皆、険しい顔してますけど、なんていうのかな、先輩のはそれとは違う感じ」
 日向の指摘に、北斗は渋い顔をした。日向は時々えらく鋭いことを言う。ただ、彼女の場合、単に気になったから聞いてきただけで、深い意味はないのかもしれない。
 また、自分がそういう顔をしていたことを驚いてもいた。刑事になってから、事件に対してあまり感情的にならないよう自分を律してきたのに。
「俺が刑事を目指したきっかけになった事件だよ。交番勤務じゃ、捜査はできないだろ?」
 ブレンドコーヒーを口にしながら、ぽつぽつと語る。コーヒーの苦さが、当時の気持に重なった。
 七年前に殺された宮下昭彦は北斗の警察学校時代の同期で、3つ年下の青年だった。卒業後に配属された署は違ったがよく飲みに集まる仲間の一人で、同僚というより友人といったほうが正しい。
「俺はどっちかっていうと公務員試験に受かったから警察官になったようなもんだったんだけどさ、奴は警官になりたくてなったような奴で。……殺された当時、まだ22歳だった」
 その宮下を殺した犯行の手口はずさんで、様々な情報も無かった訳ではないが、捜査は行き詰まってしまっていた。
「それで、犯人を探すために刑事に?」
 心痛そうな顔をして話を聞いていた日向の様子に、苦笑した。
「さすがに、そこまでは考えてなかったよ。ただ、当時は直接何も出来ない交番勤務が歯痒かったっていうかさ」
 もしかしたら、自分は自分で思っていた以上に意識をしていたのかもしれない。
「あの……もしかして、聞いちゃまずかったですか?」
「いや、大丈夫。昔の話だから」
 日向のほっとした顔を見て、北斗も安堵した。
 相変わらず、彼女は対象に対して感情移入しやすい。それを青いと評する人は多いだろうが、そこが彼女の持ち味でもあるといえる。
 それにだ。
「あ、そうだ先輩」
「何?」
「バレンタインデー用の義理ケーキなんですけど、茄子料理で新技を開発したんですよ、私♪」
 彼女は気分の切り替えも早かったし、場の空気を一瞬にして変えてしまう特技の持ち主だった。同じ特技でも、彼女の茄子料理とは比べられない。
「――ん?」
 マナーモードにしていた携帯が震えているの気づき、北斗は慌てて携帯を取り出した。
 固い調子で二、三言葉を交わし、電話を切る。北斗の様子を伺っていた日向は、コートを手に既に立ち上がっていた。
「地域課の巡査がやられた。二人目だ」

<<     >>