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■Report-24 バレンタインデーは死の予感1

 1月末。冬物バーゲンも一段落つき、すっかりお正月気分も抜けきって、街はピンク色一色だった。いよいよバレンタインデー商戦の始まりである。
 カラフルなディスプレイやポスターを横目に、崎守透は目的の店へと急いでいた。輸入食料品を扱う店は東京都内でも最も賑わう繁華街の一つの真中で、料理が趣味の透は時々新しいものや珍しい食材、面白い食べ物を探しにたまに訪れる。ついでに大通りに立ち並ぶデパートの地下は、食べ物の宝庫だ。
 チョコレート周辺に居並ぶ女性陣をかき分け、今日はパスタの材料を少々買い込んだ。
「あれ?」
 世界的に有名な宝飾店から出てきた男とすれ違って、透は思わず振り返った。コート姿の男は透に気付かず、携帯で話をしながら足早に去ってゆく。
 確かに、男に見覚えがあった。
 ――雷さんと日向さんの結婚式の時にエレーヌさんと一緒にいた人だっけ。
 エレーヌ・ケルブランに恋人がいることは知っていたが、直接会ったことがあるのは月岡雷と藤堂日向の結婚式を月岡の教会でやったあの時だけだ。確か、警察官だと聞いていた。
 彼が出てきた建物を見上げる。バレンタインデーの前に宝飾店から出てくるのだから、十中八九、彼女へのプレゼントでも見ていたのだろう。何も、女の子だけがプレゼントしていい日だとは決まってないのだし。
 自分と付き合っている彼女の顔を不意に思い出し、透の口元に自然と笑みが浮かんだ。少々気が早いような気もするが、ホワイトデーのお返しも考えておかないと。
「……と、のんびりしてる暇ないな。約束の時間もあるし」
 腕時計に視線を落とし、駅に向かって再び歩き始めた。

「これって、やっぱり婚約指輪だったりしますよね」
 たまねぎのみじん切りと皮を剥いた茄子の細切れをフライパンで炒めながら、透は居間から台所の様子を伺っている二人に、先ほど見てきたことを話していた。
 駅前のスーパーで野菜等一通り材料を買い込んだ透がお邪魔しているのは、加古川琳の自宅である。藤堂日向の作った茄子ケーキの一件以降、琳の茄子を食べる特訓の為、透が料理担当として週に何度か訪れることになっていた。もちろん、加古川家の財政を考慮して、安いものを選ぶようにはしている。香辛料等ちょっぴりの贅沢品は、自分の趣味で自腹だ。しかし、野菜が高いのは季節柄、肉が高いのは食肉を取り巻く状況から仕方ないことではあるが。
 火が通ったたまねぎと茄子を手際よく鍋に移すと、続けてひき肉を炒め始める。
「ケルブランさんののろけッぷりには、聞いてるこっちが恥ずかしくなるぐらいでしたからね〜。相手のことは知らないけど、あれだけ想われたら男冥利に尽きるもんだと思うなぁ」
 実質の加古川家の主である琳の双子の弟(表向きは兄)の恋がお茶をすすりながら言葉を続けた。
 先日、ブッシュ・ド・ノエルの味見を頼みに加古川家に訪れたエレーヌ・ケルブランの、聞いているほうが赤面するようなバレンタインデーに懸ける熱い熱いとにかく熱い想いを聞いたことを、恋は思い出していた。
「ケルブランさんのケーキはあんなに美味しいんですから、刑事さんもメロメロにならないハズ無いと思うです」
「ケーキにメロメロしてどうするんだよ」
 状況を聞くだけでも、ケーキなしで十分メロメロなんじゃないかとと思えるのだが。
「いいな〜。もう一度あのケーキを食べたいな〜。デートでケーキ、刑事さんが羨ましいのです」
「琳さんはみあさんに貰えるでしょう?」
 トマトピューレの缶詰を開けながら、透が言う。『みあ』と名前を聞いて恋は眉を寄せ、琳は顔を真っ赤にした。
「ボ、ボクがみあさんから貰えるですか? みあさんはボクをその、こここここ恋人だと想ってくれてるですか? ボクにその資格あるですか?」
「誰が見ても明らかですよ」
 くすくす笑いながら答える透。その様子に恋は内心「ケッ」と言う気分だ。まだ『みあ』が女だとわかったわけではないのだ。
 ご機嫌な様子でお茶菓子に伸ばされた琳の手を、「めっ!」とすかさず払いのける恋。
「ケルブランさんの感じだと、相手が同じこと思ってないはずないって気がするし、それにいい歳だろうし、婚約指輪とかでほぼ間違いないでしょうね。やっぱ給料3カ月分なんだろうなぁ」
 強引に話を戻してみた。
 愛は金額ではないと思うのだが、ホワイトデーも3倍返しと言われいてる。なんだか男のほうが損だ。例えとして、恋は自分の給料を脳裏に浮かべ簡単に計算してみた。やっぱり高い買い物だよなと呟きながら、お茶菓子の入った器を食器棚へと上げた。食事前のオヤツは厳禁だ。
 そこで、琳がうつむき加減にじっとしていることに気が付いた。
「……どうかした? お菓子は食後のデザートなら食べてもいいぞ?」
「ち、違うです」
 お菓子を取りあげたときの態度がちょっと悪かったかな?とも思ったが、どうも違うらしい。
「……どどどうしよう」
 琳が急にオロオロし始めたのを見て、恋は落ち着かせるように琳の横に並ぶと、そっとその肩を抱いた。
「どうしたんだよ、急に?」
「どうしよう、どうしよう。このままじゃケルブランさんがかわいそうなのです」
「へ?」
 あまりにも唐突な言葉に、透と恋が同時に声を上げる。
「どうしてケルブランさんが? 刑事さんが買う指輪って、ケルブランさんにプレゼントするとしか考えられないじゃないか?」
 恋の問いかけに、料理の手を休めた透も頷く。
「だって、だって……」
 言いあぐねる琳の言葉を辛抱強く待つ二人。
「だって……このままじゃ、刑事さん殉職しちゃうです!」
 なんでやねん。
「どうしてそうなるんですか? 説明してもらえますか、琳さん?」
 鍋の様子を伺いながら、琳の視線の高さに合わせるよう少し首をかしげて、透は優しく説明を促した。
「だって……だって」
「だって?」
「殉職フラグが立ってるですよ?!」

【フラグ:Flag】
 直訳は旗。ゲームなどで、イベントを発生させる為の条件が成立したことを「フラグが立つ」と言うことがある。

「殉職には、昔からパターンがいくつかあるです。例えば――」
 警視庁への栄転が決まる→栄転前に殉職
 急に過去の辛い事件を思い出す→決着をつけて殉職
 人生の一大決心をする→目的を果たせず殉職
 大切な約束をする→約束を果たせず殉職
 幸せの絶頂→運を使い果たしたように殉職
 地味だったのに急にスポットが当たる→活躍して殉職
 ルーキー入れ替えの季節→華を持たせて殉職
 他。
 琳は指折り数えてパターンを上げて行く。
「ほら、適当に上げるだけでも7つもあるですよ? 調べればもっとあるはずなのです」
 いや、だからそのパターンはどこから持ってきたんだ。つか、ルーキー入れ替えって。
「でね、でね、それからすると、
 幸せの絶頂→らぶらぶ
 大切な約束→デート
 人生の一大決心→婚約
 ほら、1つでもヤバイってのに、3つもあるです! これはかなりキケンなのです。間違いないです!」
 力説する琳に恋と透は顔を見合わせ、そろって苦笑した。
 普段、ドラマなど見ないくせに、変なところには詳しい。
「そんなのドラマの中の話だけですよ。大丈夫ですって」
「甘いです! 人生はエンターテイメントなのです!」
 イスの上に立ち、ぐぐぐっと拳を握る琳。
『――本日午後6時過ぎ、東京都港区でパトロール中の警察官が何者かに拳銃で撃たれるという事件がありました。被害に遭ったのは警視庁大門警察署の38歳の巡査長で、意識不明の重体です。尚、犯人は巡査長の拳銃を奪って逃走中とのことです。現場からの中継です。大場さーん――』
 つけっぱなしになっていたテレビが、いつしか夜のニュースになっていた。
 なんてタイムリーなニュースなんだと、恋と透は思った。
「ほらっ、ほらっ。近頃の日本も物騒なのです。一寸先は闇なのです」
 琳はエヘンと胸を張って、テレビを指差す。
「でも、少なくともバレンタイン前日までは大丈夫だと思うです」
「……えーと、その根拠を聞いていいかな?」
 自信満々の琳に、恋が尋ねた。
「こーゆーパターンって、大切な日の直前に起きて場を盛り上げないと意味ない訳ですから、やっぱ、ずぎゃーん!とくるには他の日じゃダメです」
 いいのか、それで。というか、そんな打算的な理由で殺された刑事さんは日本にどれほどいるのだろうか。
「ところで、夕食出来ましたよ。今晩は茄子を使ったミートソースのパスタです」
 大鍋から麺をコランダーに移して湯を切りながら、透が声をかける。それを合図に、恋が皿を並べてテーブルを用意し始めた。
「ほら、琳も冷蔵庫からサラダ出して」
「うううう、スパゲッティも茄子ですか」
 さっきの勢いもどこへやら。テーブルの端で小さくなる琳の前にミートソースの乗ったパスタの皿を置いて、透が笑顔を見せる。
「茄子を使わないと特訓の意味ないでしょう? 皮を剥いて小さく切っていますし、トマトソースの味が強いからあまり気になりませんよ」
「いつもすいません。俺がいつも早く帰れた良いのだけど。俺が遅いと先に適当なもん食っちゃうんですよ、あいつ。せっかく自分から嫌いなものを食べられるように特訓するって言ってきたのに、俺だけじゃできなくって」
「気にしないで下さい。僕も料理好きですから、友達の役に立てるのであれば喜んで」
 日頃の料理担当の恋が仕事で遅くなると、琳はそれこそ適当に冷蔵庫の中のものを食べてしまうのである。茄子の特訓も何もあったもんじゃない。茄子を克服する為に琳にまず必要なのは、決まった時間に食事を食べさせる人間でもあるのだ。
 ついでに、恋も茄子は苦手だったのだ。だからこそ、自然と茄子料理が少なくなり、琳の茄子嫌いにも拍車をかけていたのかもしれない。料理のレパートリーの豊富さでは、恐らく透に敵わないであろう。
 そして、その日の話題は琳の茄子克服特訓メニューの話へと続いたのであった。
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