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■Report-16 お茶の時間

 住宅地の一角にある鉄筋4階建ての古い低層アパート(マンションと呼ぶのはすこしはばかれた)の一室に明かりがともっているのを確認して、助さんこと川崎太助は店名の入っている白いミニバンから黒い塊を持ち出した。
 1階が大家さんの自宅になっているため、賃貸は2階からだ。低層なので階段のみである。
 3階の目的の部屋のドアの前に立ち、インターホンを鳴らす。聞きなれた声がスピーカーから聞こえ、少し待つと鍵が開く音がしてドアが開いた。
「助さん、久し振り」
 太助を玄関先で出迎えたのは大守北斗だ。部屋の奥から勢い良く2匹の動物が飛び出してきて、太助の足に飛びついた。
「悪いな、今日はこんな時間になっちゃって」
「でも、ちょうどいいタイミングでしたよ」
 抱えていた黒い塊――大玉のスイカをごろんと床に転がして、太助は笑う。
「先週なんか、まったく北斗さんと連絡取れませんでしたからね。今日もダメだったら、このスイカ、別の人のおなかの中ですよ。で、事件は解決したんですか?」
「まあね、もう送検も終わったよ。何事もなきゃ当面は安泰ってところだな。ビール、は車じゃダメだな、コーヒーでも飲んでく?」
 7月とはいえ、梅雨明け前の夜はまだ冷える。太助は足にしがみついている一匹を抱え上げると靴を脱ぎ、スイカを持つ北斗に続いた。明日のパンの仕込みは終わっているから、少々お邪魔したところで差し支えは無いだろう。
 北斗の部屋は、家で寝るだけの人間の住処としては広い。大きめの1LDKでサービスルーム付き。しかし、ワケ有りとかなんだかで格安だそうだ。
「にしても、立派なスイカだなぁ」
「契約している九州の農家の方からいただいたんですよ。美味しいですよ♪」
 とりあえずスイカを冷やすかと、北斗が冷蔵庫の野菜室を引き出す。一人暮らしの冷蔵庫としてはやっぱり大型で、家族用のものだ。世話焼きの姉初瀬七海と姪っ子の美鶴の家で新しい冷蔵庫を買うということで、より古い自前のものを処分し初瀬家の古い冷蔵庫を引き取ったのだ。……あまり利用してないので電気代が気になるらしいが。
 冷蔵庫の中はお菓子とジュースだらけだった。北斗の家には現在ギルドがらみで飼う事になったおかしな生物が2匹存在している。今も太助の足にじゃれ付いているその2匹の留守中の世話を、姪っ子とそのボーイフレンド、友達にお願いしていた。もともと良く遊びに来る子供たちだけに、勝手も知っている。お菓子とジュースは彼らが入れたものだろう。古い食物は処分されていた。子供たちが食べたか捨てたかしたのだろう。このあたりは助かっているらしい。
「カップ出しますね」
 やかんを火にかけコーヒーの準備をしている北斗の背に声をかけ、太助は食器棚の前に立った。ふと、棚の端っこに置いてある明るいグリーンの缶に目が行った。
 リプトンのエクストラ・クオリティー・セイロンだ。通称緑缶と言われているものである。横には真新しい白くて丸い磁器のティーポットの姿も見える。
 太助は首をかしげた。
 ダイニングテーブルの上には、ガラス製のコーヒーポットとドリッパー。一人分のコーヒーを入れるのにコーヒーメーカーはいらんと、北斗が長年使いつづけているものだ。これは年季が入って見える。
「北斗さんて、紅茶飲みましたっけ?」
「外で他に飲むものが無いときぐらいかな」そう言って、北斗は太助の方を見た。太助の手に緑缶があるのをみて、苦笑いをする。
「署の女の子に聞いたら、入手しやすくて手頃に美味しいのがそれだって聞いたから」
 太助の目が細くなる。
「ふ〜ん、北斗さんが紅茶ねぇ。ポットも一緒に買ったんですよね」
 楽しそうな、そして含みのある太助の口調に、北斗は怪訝そうな顔をした。
「なんか問題あるか?」
「いえいえ、女性の為に気を配るというのは良いことだと思いますよ」
「え?」
 動きの止まった北斗に対し、ふふふふ……と勝ち誇った笑みを浮かべて、太助は続けた。
「まず、北斗さんて、紅茶に興味を持ったからって急にをリーフで買って飲みだすって柄じゃないでしょ? それに、自分が興味を持って紅茶を購入したのなら、今みたいに尋ねてきた相手に紅茶を使いたくなると、僕は思うんですよね。ちがいます?」
 太助の推理をぽかーんと話を聞いていた北斗が、大げさに息を吐いた。
「……負けました。彼女、コーヒーは飲まないから。とはいえ、家にあるのって他はジュースとビールぐらいだし」
 どうやらお茶は煎れない奴らしい。そら他に飲むものなかったら困るだろう。とゆーか、緑茶もないのか。(後で聞いたら切らしたままだったとか)
「やっとこさシスターと無事お付き合い出来たんですねぇ♪」
 成り行きでギルドメンバー達が集まる店でシスターことエレーヌ・ケルブランに告白し、お返事が保留になった事件は、太助の耳にも届いている。というか、一部で有名な出来事になっている。
「まあね……」
 他人事ながら感慨深げな太助に対し、当の北斗の方は微妙に歯切れが悪かった。
「ちゃんと返事を貰ったわけじゃないんだ。その……そーゆーことなんだとは思ってるんだけど、向島百花園の仕事以降、事件が起こって会えなかったし」
 貴金属店の店長が自宅で殺害され金庫内の売上金と商品を奪うという強盗殺人事件が北斗の勤める署の管轄内であり、つい今日までその捜査に忙殺されていたのだ。
 とはいえ、向島百花園の事件はカップルとして潜入して捜査処理しろとギルドからの話だったわけで、それに微妙な関係といえど一緒に行っているワケだから、つまりそれはOKなんじゃないかと、太助は思うのだが。
「なんかあったんですか?」
「あ……いや、たいしたことじゃないんだけど、ちょっと気まずいってゆーか、なんてゆーか。彼女がどう思っているのか、確信が持てないんだよね」
 ははは……と苦笑する北斗の様子は、しかし微妙に嬉しそうでもあり。向島の捜査の後で何かがあったらしいが、この様子はケンカとかでは絶対ないね、と太助は確信した。
「あ、なるほど」
 合点がいったような気がして、これもノロケ話の一種だよな、と太助は心の中で呟く。おそらく、想像は当たらずとも遠からずってところだ。自身の経験と勘がそう云っている。
「二人とも子供じゃないんだし、大丈夫でしょ。もうちょっと自信持ちましょうよ」
 そして太助は再び緑缶を手にした。
 コンロの上では、やかんが蒸気を噴出している。
「用意したコーヒーが無駄になってしまいますけど、せっかく紅茶も買ったんですし。美味しいお茶の淹れ方、教えてあげましょうか? お湯も沸きたてですし、少なくとも、僕の方が北斗さんよりは美味しいお茶が淹れられると思いますよ」
 自分の笑顔と親切さに、思わず心の中で乾杯してしまった。

 そして、しばし男二人が顔をつき合わせて、お茶請けに子供たちが冷蔵庫に残した菓子と紅茶に腹をふくらませ、ため息の時間が過ぎ。
 練習の成果のほどは「まあ、なんとかなるでしょ」という太助の一言に集約される。
「まあ、結局はお茶を入れる人の気持ちがこもっていれば、少々不味くても飲めるものになるもんですし」
 美味しく淹れられなかったからといって、不味くなるもんでもない。お茶は基本的に失敗するようなものではないはずだ。……たぶん。
「美鶴と晶ちゃんには、この話、もう少し秘密にしておいてくれ」
 帰り際、手を合わせてお願いポーズの北斗に太助は思わず笑った。
「僕からはお話することないから安心してくれていいですよ」
 モテモテの様子は少々羨ましく思わなくも無いが、確かに今までの彼女たちの剣幕だと、ややこしいことになりそうだ。思春期の女の子の扱いは難しい。自分なら遠慮したいものである。
 とはいえ、試練の日はいずれくるのだろうけど。
「まぁ、あのスイカ、量もありますし、家族団欒に使ってくださいよ。美味しい食べ物は絶対に効果的ですからね♪」

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