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■Report-23 1月3日に生まれて(夜・後編)

「ごめんなさい。お言葉に甘えてしまって。明日もお仕事あるんでしょう?」
「いえ、全然気にしなくてもいいですよ。仕事で遅くなる事だって多いし。それよりエレーヌさんと会えた方が疲れも吹き飛んじゃいますから」
 軽く笑いながら、北斗はヤカンを火にかけた。
「エレーヌさんの方も、新年早々事件ですか?」
 ウルテルがらみの一連の事件の片がつき、最近ではギルドの活動も落ち着いている。年末年始の忙しさに伴い、北斗も本職である警察官に専念しており、最近はギルドがらみの事件にほとんど関わっていない。
「事件と言うほどのものではありませんでしたわ」
 エレーヌが所属している『クレール・ドゥ・リュヌ』は魔法系のギルドである。マジックアイテムの作成のみならず、それらの鑑定を頼まれることもある。
 都内某所の博物館に持ち込まれる予定のアイテムが、マジックアイテムではないかという情報がギルドに持ち込まれ、その鑑定にエレーヌが派遣されたということらしい。
「それで、北斗さんの家が近かったから、もしかしたら会えるかしらって。早く私の用事が終わっていたら、北斗さん、まだ家に帰ってなかったでしょう?
 せっかく近くまで来たのだし、時間が許すのならば、直接言いたかったんですもの。誕生日プレゼントは次のデートのときで許してくださいね」
 ふふ……とエレーヌは微笑んで、ティーポットとカップを取り出そうとしている食器棚の前の北斗の横に並んだ。
「今の時間なら、ギリギリかしら。Bon anniversaire pour Hokuto. お誕生日おめでとう、北斗さん。という意味ですわ」
 ふっと、北斗の頬にエレーヌの柔らかい唇が触れた。
「シュークリームを買ってきたのだけど、もしかして今日は甘いものは食べ飽きてしまったかしら?」
 エレーヌが取り出したのは、北斗が見たことが無い店の箱だ。元々洋菓子店には詳しくないのだが。中身も何の変哲の無いシンプルなシュークリームである。
 だがしかし。
 北斗の目にはそのシュークリームが輝いて見えた。今日、誕生日にといわれて出された物の中で、こんなに普通の姿で普通の味の普通の食べ物を出されたのが初めてだったのである。
 思わず、エレーヌを抱き寄せた。唐突な行動に、エレーヌは少し驚いたらしい。
「北斗さん……? 何かあったんですか?」
 なんかというか、エレーヌの常識的な範囲での行動が泣きたくなるぐらい滅茶苦茶嬉しい。いや、誕生日を祝ってくれると言う皆の行動も嬉しいことには違いないのだが、それをどこまでも素直に受け入れられるだけの度量は、今の自分には無い。
「たいしたことじゃないんです。でも、今日、エレーヌさんに会えたことがすごく嬉しいっていうか、ほっとしたというか。エレーヌさんが俺の……その……恋人でよかったなぁと」
 改めて自分の口で「恋人」という言葉を使うのが照れる。
「……私もですわ」
 いつしかエレーヌの手は北斗の背に回され、彼女の瞳はまっすぐと北斗を見つめている。そして、ゆっくりと二人の顔が近づき――
「……ん…」
 深く長い口づけ。エレーヌの口から甘い吐息が零れる。唇が離れたあと桃色に染まった頬に潤んだ瞳で見上げられて、思わず息が詰まる。
 しばらく見詰め合ったのち、エレーヌがくすくすと笑い出した。
「今度のデートは北斗さんの部屋にしましょう?」
 そう言って彼女が指差したのは、ゴミ箱から覗いているカップめんのカップ。バツが悪そうな顔をする北斗の首に腕を回して、エレーヌは北斗に顔を寄せる。熱を帯びた息がくすぐったい。
「買い物から始めて……フランスの家庭料理をご馳走しますわ」
 そして、再び唇を重ねる。
 二人だけの甘い時間――続くと思われたそれをぶち破ったのは、一本の電話だった。
 電話線をひっこ抜いてやりたい心境にはなったが、職業柄、やはり電話は無視できない。
 しぶしぶ受話器を手にする北斗の耳に飛び込んできたのは――
『あ、大守先輩! こんばんわ〜』
 この明るい声は、日向だった。
 彼女の声を聞いて、頭から冷や水をかけられたような、一瞬にして甘い気分は吹き飛んでしまった。
『こんな時間にすいません。これくらいの時間じゃないと、家にまだ帰ってないって思ったんで。ところで、茄子ケーキ、どうでした? 全部食べました?』
「あ、うん。全部無くなったよ」
 嘘ではない。
『ちょっと砂糖の量が少なかったみたいで、もしかしたら甘さが足りなかったんじゃないかな〜って思ってたんですけど、どうでした? これが聞きたくって』
 まさか食べてないとはいえない。北斗は忘れかけていた昼の出来事を思い出そうと、必死で記憶を辿る。
「……え、え〜と。甘さが少し足りなかったような感じだったかな。お昼だったから、それくらいで丁度よかったけど」
 「食べた」と嘘を吐くことに後ろめたさは感じるが、この際嘘も方便だ。ケーキ如きに身を危険に晒すのは、やはり嫌である。味に付いては自分の感想ではないが、実際に食べた人間が言っていた言葉だ。友の犠牲は無駄にはしない。
 心の中で自分に言い聞かせ、日向の電話に対応する。
『先輩にも好評でよかったです。茄子ケーキは皆に感想を貰って改良を繰り返しましたから、次はバッチリです。バレンタインデーには腕によりをかけて茄子ケーキ作りますね! 先輩も楽しみにしててください☆』
 ――先輩『も』って、義理チョコの代わりか? 配るのか、アレを。
 いや、だとしても行為はともかく決して貰って嬉しいブツではない。口が裂けてもいえないが。ちらりと首をかしげるエレーヌの方を見、焦る気持を押さえつつ返す言葉を考える。
「いや、俺はその……ほら、貰えるアテあるし」
『心配しなくても大丈夫ですよ。義理ですから☆』
「そ、そうじゃなくて。アレだ。たくさん焼くの大変だろ?」
『大丈夫です。この教会、大型のオーブンがあるんですよ♪ さすがヨーロッパ仕様の台所ですよね〜』
 日向の夫の月岡牧師を恨みたくなった瞬間だ。
「……あのさ、茄子ってケーキよりは惣菜パンとかの方が向いてない? いや、普通の料理の方が――」
 普通の料理になったところで、噛み付き茄子には違いないのだが。
『茄子でケーキだから創作意欲が湧くんじゃないですか☆ でも、惣菜パンも面白そうですね。先輩、ナイスアイディア。なんか、料理を考えるってワクワクしますよね♪』
 どうしたら、彼女の創作意欲を普通の方向に向けられるのだろうか。
『あと先輩。惣菜パンに挑戦したら、その時は試食を是非お願いします♪』
「……え?」
 一瞬言葉を失った。
『だって先輩のアイディアですもんね。バッチリ美味しいの作りますから』
「ちょ、ちょっとまって……」
『じゃあ、明日も早いですし、そろそろ切りますね。夜分に失礼しましたッ』
「ひ、日向ちゃん? 日向ちゃんッ?!」
 必死に呼びかけるも、受話器から聞こえてくるのはツー音だけ。
 藪をつついてへびを出す。とは良く言ったものだ。
「北斗さん、顔、青いですわ?」
 心配そうに顔を覗き込むエレーヌに、力なく北斗は笑った。
「バレンタインデー、どこか遠くに行きたいですね……」

 こうして、北斗32歳の誕生日は終わったのである。

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