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■Report-03 能力

 青白い指に指し示される場所に視線を向け、大守北斗は目を凝らした。
 視線を戻すと、その指の持ち主はそこにはいない。
 軽いめまいを覚えながらも、北斗は再び指し示された壁掛けのカレンダーを見た。スケジュールが乱雑な字で書き込まれている。字は雑だが、マメな人物だったようだ。カレンダーの下に電話があり、ボールペンが転がっている。おそらく、電話で話しながら予定をその場で書き込んでいたのだろう。
 北斗は白い手袋をはめた指で、日付をなぞった。
 今日の日付の下に女性の名前、前日には『ちょむ』とある。あだ名か何かだろう。
「溺死だそうです。死亡推定時刻は昨夜の午前2時辺りかと。遺体がお湯に浸かっていたので、詳しいことは、解剖してからになるそうですけど」
 背広の青年がバスルームの方から姿を見せた。じっとカレンダーを見ている北斗の姿を見て怪訝そうな顔をした。
「大守さん、何カレンダーなんか見ているんですか?」
「事件に関係あるかと思って」
「まだ事件とも事故とも決まってないですよ。ストレスとかで睡眠薬を処方してもらっているらしいから、睡眠薬を飲んでの入浴の事故とも考えられるし。それより、顔青いですよ?」
「いや、ちょっと気分が悪いだけだから大丈夫。それより、薬はあったのか?」
 苦笑して、北斗は話をそらした。食器棚にありましたよ、と青年はいい、聞き込みをしてくるとこの場を離れた。
 ため息をついて、北斗は再びカレンダーに視線を落とした。
 北斗にはこれが事件だとの確信がある。なぜなら、被害者本人がそう言うからだ。
 カレンダーを指し示した指の持ち主は、無言で無表情な青白い顔を北斗のほうへ向けていた。その顔が、浴槽で溺死体で発見された女性のものであることは、一目瞭然であった。とはいえ、他の人には見えないものだから、それを確認することはできないし、犯人のことを被害者の幽霊が教えてくれたと人に話しても信じてもらえないことも判りきっているのだが。
 何時からだったか、北斗には時々死者の姿が見えるような時がある。
 昔のことはよくおぼえていなかったが、最近――警察官になって殺人事件に関わるようになってからは顕著だ。それだけ被害者の強い想いが残っているんだろう、といえば聞こえがいい。
 彼らは黙って現場にいる。そして、犯人に繋がる手がかりを示してくる。その場に端的に人物がわかるものがあればそれを、無いなら無いなりに何かを。その際に、気分が悪くなったり酷い頭痛がしたりするのだが、周りには単に死体を見て気分が悪くなっているだけと思われているらしいのが、やや心外ではある。
 ただ、それはそれとして、そこで犯人がわかっても証拠は探さねばならない。証拠が無ければ、犯人を捕まえることは出来ない。根拠も示せないままに犯人は○○だと言ったところで、これでは只の電波だ。
 カレンダーの女性の名は、被害者の妹の名だった。休日にあわせ姉と遊ぶために上京してきて、バスタブで死んでいる姉を見つけてしまった。第一発見者である。死亡推定時刻からしても、アリバイからしても、彼女が犯人ではありえない。
 となると、前日に書き込まれている『ちょむ』という人物か何かが怪しいとなる。そうでなくても、このカレンダーには犯人を示す何かがあるのだろう。
 北斗はとりあえず、『ちょむ』なる人物の手がかりを得るために被害者の手帳を探すことにした。

 結論を言うと、事件はあっさり解決した。
 状況だけでは事件か事故か判断がつきかねる中での捜査で、被害者の手帳の中にあった住所の人物から聞き込みをしていく際に自供されたのだ。
 犯人はやはり『ちょむ』とあだ名されていた男で、被害者の昔のバイト仲間だった。北斗が尋ねていった際、警察の登場にすっかり怖くなって玄関先で自供したのだ。緊急逮捕だった。
 事件が解決するときなんてこんなもんだと、調書をまとめながら北斗は思う。
 夜勤の同僚と引継ぎをし、帰路につく。自宅近くの閉店間際のスーパーに駆け込み、出来合いの惣菜を割引で買い、疲れた気分でぼんやりと歩いた。
 幽霊から犯人を知るヒントを得られても、それで事件が劇的な解決を見せるとは限らない。今回もスピード解決だったが、彼女の思念が残したヒントが無くとも犯人が捕まるまでの時間はそう変わらなかっただろう。 
 刑事課の中では、北斗は勘が良い、ということになっている。北斗のその『勘』が、事件の早期解決に貢献したといえなくもない事件もいくつか存在するのは確かだ。だが、その『勘』は刑事として積んだ年数に鍛えられた感覚とは明らかに違うものだ。割り切れない気分はいつも付きまとう。
 アパートの階段を上がる前に郵便受けを確認し、いくつかの封筒と夕刊を手にした。
 紳士服のダイレクトメール、ガス代の請求書、不動産のチラシ、他。部屋に入り何の気なしに郵便物を確認していて、見慣れない封筒に気付いた。
『東京人材開発センター』なる派遣会社かららしい。
 住所も宛名も手書きだった。
 しばし封筒を見つめ、そして北斗は自分が夕食をまだ用意してないことに気付いた。

※『今日から君も!』に続く※

 ――そして現在。

「……何がどう役に立っているんだか」
 全弾撃ち尽くしたグロック17のマガジンを慣れた手つきで交換しながら、呟く。
 警察官歴8年ほど。扱う弾は特殊なものとはいえ、職務意外で実銃をこのような形で使うことになるなんて、誰が想像していたか。
 自分はそこそこ慎重派だと思っていたが、『東京人材開発センター』からの仕事を請け負うことをあっさり決めてしまったことといい、どうも調子が狂う。
 そもそも自分にあるちょっと変わった能力といえるものといえば、幽霊などを見ることができるぐらいだ。だというのに、この目の前にいる変としか言い様のない物体――怪物はなんなのか。巨大目玉、アザラシ怪獣etc.誰にでも見えるもんばかりじゃないか、と心の中でつっこみたくなる。
 北斗と同じくスカウトされた仲間が不可視の力を怪物にぶつけ、その隙に発砲する。
 非日常が日常になりつつある。刑事だって、一般人の非日常を日常的に見る職業だ。しかし、今の自分がやっていることといえば……
 どうやら求められていたのは、非常識的な変な物体を見ても動じない精神力だったらしい、と考え直す今日この頃である。


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