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■Report-02 昼下がり

 デスクワークは嫌いではない。
 大守北斗はキーボードをリズミカルに叩きながら、そう思う。
 署の建物は古いが、空調はまあ悪くない。夏の日差しも、冬の空っ風も、建物の中にいる分には関係ない。聞き込みや張り込みの労に比べれば、報告書などを作る方が北斗にとってはずっと楽なものだった。
 そういう態度を見せると周りの人間が遠慮なく書類を押し付けてくるので、あまり口にはしないのだが。しかし作業が比較的早いので、他人の分をやる羽目になることは多々あることではある。しかも最近はパソコンを使う作業も多く、年配の刑事連中の仕事を請け負わざるを得ない状況にもなっており、そこが不満といえば不満だと思っている。

 のどかな昼下がり。これといって大掛かりな事件もなく、先日の傷害事件(犯人はすぐ捕まった)の報告書を、なみなみとコーヒーを注いだ自分専用のカップ片手に作成していると、不意に名前を呼ばれて北斗は顔をあげた。
 部屋の入口に近い同僚が、こっちへ来いと手を振っている。そしてその顔は厄介ごとの相手をしろといっていた。
 刑事課の入り口に立つ年配の女性は、見慣れた顔だ。明るいグレーのスーツを着こなし、愛想の良い笑顔で手を振っている。足元には薄めのアタッシュケース。
「お久しぶり、大守さん」
 やれやれと腰を上げた北斗に、女性は満面の笑みで向かえた。
「この間一緒にきていた女の子、今日はいないんですね」
「とっくに研修期間が終わったからね。残念?」
 人懐っこく女性は笑う。
「今日は新しい商品を紹介しようと思って。話だけでも聞いてくれないかしら?」
 どうしたものかと同僚に顔を向けると、お前が話を聞けとの視線だけの無言の返事。
 ため息一つで部屋の片隅にある応接コーナーに女性を案内し、コーヒーメーカーからカップにコーヒーを注ぐと女性の前に置いた。自分の分は、席から一緒に持ってきている。
 女性はアタッシュケースからカラフルなパンフレットをいくつも出し、テーブルに広げる。そこから先は、お馴染みのマシンガントークだ。北斗も毎度の愛想笑いに「はあ」とか「そうですね」と適当な相槌で受けて立つ。
 ぼーっと聞き流していると、聞こえてくる言葉はあまり変らない。「危険なお仕事なんだから」とか「いつ何があるか判らないものよ」とか。
 危険といえば最近始めたモンスター退治も危険だなぁと、女性の声をBGMにぼんやりと北斗は考えた。
 死にそうになったことはさすがに無いが、ひやりとしたことは何度かある。うっかり捻挫をしたときは、階段から落ちたと皆には言い訳したっけ。
 公務員のアルバイトは禁止なので口が裂けても云える事ではないが、この生命保険の女性にも知られる訳にはいかない。うっかり知られでもしたら、掛け金がはね上がること間違い無しだ。考えると溜息が出た。
「あら、悩み?」
 説明を止め、顔を覗き込むようにしている女性と目があう。
「いえ、そういうわけじゃ……」
「そうよね〜、危険なお仕事だものね。結婚とか、やっぱりためらうでしょ?」
「いや、そーゆーことでは」
「いーのいーの。悩みがあるなら相談に乗るわよ〜? こうみえてもあなたより10年は人生経験あるんだから」
 からからと笑う女性に北斗は頭を抱えた。
「だから、そーゆーのでは全然無くて」
「おばさんに隠さなくてもいいっていいって」
 てゆーか、結婚するにも相手がいませんってば、おばさん……。
 その後、話は女性のペースで進められたが、新しい契約にはんこを押しそうになる寸前で、北斗はかろうじて逃げ切った。危うく話術に飲み込まれるところであった。
 
 それから数日後。基本的に平和な日が続いていた、そんなある日。
 非番明けに出勤した北斗を見るなり、受付の女の子がいつも以上ににこにこと笑顔を向けてくる。すれ違う同僚も、妙にご機嫌だ。ただし、好奇と観察されるような視線を含んで。
「お前、最近、ケガ多くない?」
 先輩の刑事が北斗の手の甲にあるガーゼを見て云った。昨晩のモンスター退治でつけた傷だ。大きな猫に引っかかれたぐらいのものではあるが、ちと深かったので少々目立つが傷を保護するガーゼ付テープを張っている。
 いつも通り部屋の一角に置いてあるコーヒーメーカーに自分専用カップを手にして向かい、北斗はなんでもないという態度をとった。
「ちょっと最近ついてないみたいで。裏の猫と遊んでてひっかかれたんですよ」
「ふ〜ん。それならいいんだけど。それよかさ、お前、なんか隠してない?」
 一瞬、心臓が止まるかと思った。服務規程違反がバレて職を失った日にゃ、正直この不景気での再就職は難しい。それよか職務意外での、しかも官給品外の銃の携帯発砲ははっきりいって只の犯罪だ。ブタ箱行きである。
「何を隠すんですか?」
 できるだけ自然に振舞って自分の席に座り、パソコンを立ち上げる。
「聞いたんだけどさ〜」
 にやりと口の端をゆがめて笑う先輩刑事。
「お前、結婚するんだって?」
 彼の言葉に、北斗は思わず飲んでいたコーヒーを噴出た。あわててハンカチを出して、モニターを拭く。
「○月に式だって話じゃない。もちろん呼んでくれるんだろ?」
「なんすか、その話!」
「はっはっは。照れなくていいって。なんか最近付き合いが悪いとは思っていたけど。結婚前にケンカはいけないぞ?」
「はい?」
 周りの反応を見るだに、状況を把握していないのは自分だけらしい。
 事情がわからないままにひやかされからかわれ、何とか話を繋げてみれば。
 妙な噂の出所は、保険屋の女性であった。結婚には全然縁が無いと散々説明したのだが、恋煩いだのなんなのと、署の女の子たちに言いまわったらしい。最近ギルドの仕事をするようになって、ちょっと付き合いが悪くなったことも作用しているようだ。で、巡り巡ってなんだかそういう話になっているらしい。
 だがしかし、その後その話を否定したら、逆に腹が立つぐらいあっさりと収まってしまった。自分が普段どうみられているか判るような判りたくないような。
 先輩に至っては「お前が結婚できるぐらいなら俺が先に結婚している」とかなんとか。
 こぼしたコーヒーでダメになったキーボードを取り替えるための申請書を書き、北斗は溜息をついた。
 デスクワークそのものは嫌いではないが、時には雑念に惑わされない外回りも必要だなと思う今日この頃である。

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